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美奈子はにっこりと笑って振り返った。まだ桜は咲かないけど、その笑顔はまるで春のようだ。
一瞬ときめく広路。しかし束の間、目の前の原稿の存在を思い出した。広路は苦笑いを返しながら、隠すように原稿の上を両腕で覆った。
広路はそそくさと原稿を片付け、「ごめん、俺、もう帰るよ」と席を立っていた。少し恥ずかしいような気持ちもあり、俯き加減に顎を引きつつ洋書コーナーを出ていった。
*****
微かに自分を呼ぶ声がする。甘い香りが鼻をくすぐった。
そこで、初めて目の前が真っ暗なことに気がついて目を開けた。どうやら、眠ってしまっていたようだ。
うーん、と声を漏らしながら身体を起こすと、目の前には美奈子がいた。手には缶のココアを持っている。
「また来たの?」
ふわっというあくびまじりに聞くと、美奈子はぷっ、と吹き出した。
「そうだよ」
美奈子はココアを啜る。そして広路の向かい側に座り、何かの用紙を見ている。
直後に、ぞくぞくとした寒気が広路の背中に走った。手元は冷たいテーブル。美奈子が見ているのは、広路が書いている原稿である。
「ちょっと、土岐野!」
「ん?」
間抜けに答えながら美奈子は広路を見た。美奈子を指差したまま、口をパクパクさせながら上手く喋れない広路を見て、美奈子はああ、と思い当たった。
「これ、ね。ごめんごめん。書き途中だったよね」
美奈子が原稿を広路に差し出す。広路はたどたどしくそれを親指と残りの指で挟むように受け取って、やっと氷が解けたように「なんで!」と叫んだ。
「なんでって?」
美奈子は子どものように首を傾げている。広路の顔は真っ赤に染まっている。自分の小説を見られた相手が、よりによって美奈子だなんて!
「…ごめん。寝てた俺が悪かった……」
どうにも言葉にならず、やっとそれだけ口にした。
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