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(本当に、どこから来たんだろうな)
カウンター裏のカーテンを潜れば、あとはバックヤードの所定の部屋に置いておくだけ。壁をつま先で軽く蹴ると、通路内に設けられた照明が反応し、通路が仄かに明るくなる。あれこれと商品が並び賑やかな店内から、一転して簡素な石造りの壁の通路で、トリズは細く息を吐き、声に出さずに訂正した。
(捨て犬。いや、犬かすらわからん)
トリズの黒い目は半ば伏せられて、通路の先を見る。結晶を仕舞うのは、廊下に並ぶ三つの倉庫のうち、まっすぐ行った最奥の部屋。今のトリズには、そこまでの道のりが酷く暗く、長く見える。まるで壁に嵌め込まれた照明石からの光がないかのように暗く、夜通し歩いてもたどり着けないほど遠く。倉庫へ続くバックヤードの通路が、果てなき奈落への穴に見えた。通路に立っているのか、淵で覗き込んでいるのか、穴を落ちていくのか?トリズには分からなくなる。
そのうち周りに在った闇が、いよいよ自分に纏わりついてくる。灰色の髪も、ベージュのエプロンも、色とりどりの結晶も箱ごと、不安の一色に染まっていく。自分はどこから来て、今どこにいて、どこに向かう誰なのか?鼓動はだんだんと強く鳴り響き、呼吸は少なくなる。何かに触れられているような気がして、その錯覚を感じたときには、もう何かは消えている。思考が霧散する。現れては消える何かを頭に、首に、肩に、手首に感じるたび、正気と狂気の間の往復はノイズに妨害される。
半目で見る視界がぼやけ、抱える箱すら遠く感じ始めたとき、店からひときわ大きな笑い声が聞こえた。その邪気のない声は、まとわりつく言い知れない不安を明るくかき消す。身震いを一つして、改めて強く息を吐き、トリズは気を持ち直した。目の前の簡素な通路は小さな照明からの光で薄明るく照らされ、それだけでドアに掛けられた文字がはっきりと視認できる。
(俺はトリズ。雑貨屋の店員で、目指すのは三番の素材倉庫)
まさしく目に見える標を得て、トリズは歩き出す。まっすぐ歩いて一分もかからない。迷うことなどありえない。木箱を持ち替え片手を空け、一番大きな三番の扉を開ける。背にした通路は変わらず明るく、目の前に広がる倉庫は窓からの採光で、より明るかった。
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