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(もう一ヶ月というより、まだ一ヶ月、か)
セニー自身も食べる手を進めつつ、対面で手と口の止まったトリズを見る。彼は、見た目はセニーと同年代。灰色の髪と黒い目をしていて、道を歩けば皆振り返るほどではないものの整った顔立ちをしている。体には昔のものと思しきいくつかの傷痕があるが、痛痒、疼きはないようだ。それ以外にわかったことはない。
セニーがトリズを拾ったのは、一ヶ月程前のある雨の晩の事だった。商店組合の宴会の帰り道、セニーはいくらかの酔いを引きずりつつ家路についていた。冷たい雨が傘を叩く不規則なリズムに雷鳴が轟き交わった。
瞬間、路地の闇が閃光に暴かれ、横たわる大きな影の塊が視界の端に焼き付いた。
再び暗がりに隠されるそれに追いすがるように、セニーは懐からライトを起動させる。好奇心と恐怖心を半々に近付いてみれば、それは不自然に千切れた衣服を辛うじて纏っているだけの人間だった。セニーが当てた光で目を開き、大丈夫かと問えば言葉を濁して目を泳がせた。雷雨の夜、路地裏でボロボロの焦げた服という如何にも事件の渦中の人間にしてはやけに余裕があり、まるでそこで寝ていただけのよう。拍子抜けして一転、奇妙さが愉快になったセニーは、彼の肩を担いで家に持ち帰った。どちらが肩を貸しているのかわからない足取りだった。
翌朝、自己紹介を持ちかけてみて発覚したのが、その青年の記憶喪失。一般的な常識はあれど、個人的な認識が何もない。勿論、身元を示す持ち物もない。酔った勢いとはいえそんな人間を拾った以上は責任を持つべきだろう。そう考えたセニーは、出来る限りの手伝いをした。名がないのなら「トリズ」の名を。来し方も行く末も分からないなら、雑貨屋の店員という職を。ルーツがわからない恐怖とそこから溢れ出す発作を、新しい現在で塗りつぶして封じ込めていった。当然、一ヶ月程度で解決する問題ではない。まだまだ不安定ではあるが、それでもよくなったものである。
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