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昭和16年5月。
恐らく嵐山は生まれて初めて、94式水偵以外の飛行機に乗る事になった。
その理由は実に嵐山らしいもので、高野さんこと山本五十六海軍大将曰く
「俺が航空本部長時代開発に携わった機を、是非とも摩耶長の視点でよく観察して貰いたい」
…という、命令とは良い意味で名ばかりの計らいであった。
尚、公式の場を除き嵐山は今でも山本海軍大将を
高野さん
…と呼んでいる。
山本大将の腹心黒島亀人(くろしま=かめと。実在の方です)参謀に言わせると
「貴官が次席変人参謀かもしれん」
…とのことであった。
それが黒島参謀流の誉め言葉であり、山本大将が自分を評価している事はすぐに理解した嵐山。
しかし、次席変人参謀と呼ばれるのは、まだ先の事であろうが正直な話…
「ワイはやっぱり摩耶長が一番ええわ。
…せやろ親友?」
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