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「ああああああっ!」
杉会久孝は、何かから身を守るように、両手を顔の前に重ねた。早朝の住宅街での奇行。ゴミ出しをしていた主婦が、ぎょっとした様子で彼の顔を見て、一目散に走り去った。杉会久孝はそろそろと両手を下ろすと、不思議そうに辺りを見回し、それから自分の手をじっと見つめた。杉会久孝はわずかに首をひねり、しばらくその場から動こうとしなかった。立ち尽くした杉会久孝は――
……ここに立ち尽くして、俺は、一体何をしているんだろう。恐ろしい目にあったばかりのように、心臓の鼓動が速い。
俺の脈動とは逆に、辺りはやけに静かだった。
早朝の道路は人っ子一人見当たらず、どこも静まり返っている。いつも見慣れた光景のはずなのに、さっきからなぜだろう、胸騒ぎがする。例の法則、俺が入社する毎に、それぞれ一週間ずつ勤め先の寿命を短くするというアレが、発動するかもしれないという予感だろうか。今日でちょうど二週間。あの喫茶店は、無事だろうか。
目指すべき赤い屋根の小洒落たカフェが見えてくると、俺はいつの間にか走り出していた。走らずにはいられなかった。もし、もしも、あんなことがもう一度でもあったら――。
ドアの前で立ち止まると、俺は両ひざに手をついて荒い息を吐いた。いつもならもう、店内に明かりがともっていてもおかしくない。だが、カーテンの隙間から見えるのは、真っ暗な闇だけだ。
どくん。心臓が飛び跳ねる。
俺はそろそろとドアノブを握り、覚悟を決めてまわした。
「おはようございます。杉会です……」
チャリンチャリン。いつものように軽快な音を奏でながら扉は開いた。だが、店内の様子は様変わりしていた。所狭しと並べられていたテーブル・椅子があとかたもなくなっている。
「ああ!」
信じたくない気持ちが、俺の背中を押していた。俺は慌てて中に駆け込むと、カウンターに走りこんだ。オーナー自慢のコーヒー豆が、ここにはずらりと並んでいるはずだ。ところが期待と裏腹に、カウンターには豆など一粒たりとも残っていなかった。すっからかん。もぬけの殻だ。
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