甘い蜜

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甘い蜜

 わたしの話をする前に、ちょっと考えてみたいことがある。  今でこそ、インターネットというのはパソコンのみならず、掌の中におさまるような大きさの携帯端末でも使えるようになったわけで、小学生とかそのくらいの年頃から、それらを使いこなす子供も珍しくはないらしい。そして、そのインターネットを使ったコミュニケーションの方法も、どんどん変化している。つい十年前くらいは携帯メールが全盛だったはずだけれど、今ではLINEなどのようなSNSアプリが広く普及しているし、それでなくても一方的に日常のあれこれを呟くだけなら、Twitterもある。かつ、そこから始まる人間関係もあるというのだから、本当にすごいものだと思う。  講義の合間に大学のパソコンでネットサーフィンに興じていたら、昔はメールがなかなか返ってこないのにやきもきしていたのに、今のSNSアプリではメッセージの未読と既読が簡単にわかってしまう…みたいな、簡単に連絡がつくようになった手軽さを嘆くような記事を見つけた。確かにそんな時期もあったかもしれない。着メロとか着うたに凝り出したり、キャッチボールをするみたいに友達と画像をやりとりするうちに、パケット通信料がとんでもない金額になって、親に大目玉を食らったという同級生を、わたしは何人も知っている。  単純に思ったのは、たとえそうやって手軽さゆえの呆気なさを嘆いたとしても、だからと言ってわたしたちの日常の暮らしが再び過去に戻ってゆくなどないだろう…ということだった。面倒よりも手軽な方がいいし、遅いよりも早い方がいい。むしろ、そういった気持ちが先人たちに芽生えていなかったとすれば、人間はとうの昔に絶滅していた生き物なのではないか…と、小学生の時点で文系であることを自覚していたわたしでも、なんとなく想像することができる。  人間というのはなんとも愚かしい生き物であって、やっと苦労して利便を手に入れたかと思えば、今度は捨て去ったはずのかつての不便さを懐かしむ。それは何事に対してもそうだと思う。もしかしたらそれは人間でも日本人という民族だけなのかもしれないけれど、そんなことはとりあえず端の方に置いておきたい。
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