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「ふうん。良さげな人だけどね。まあ本当にこの人が来たら、の話だけど」
「それなの。心配なのは」
明日香が、ぶんぶんと首を縦に振った。
「これでとんでもないのが来たらどうしようって思うし」
まあ、向こうが明日香のことを悪い意味で「とんでもないのが来た」と思うことはないのだろうが、自分の知らない場所で散々な言われ方をしている名も知らぬ男に、わたしはほんの少しだけ同情した。
気を取り直して、あまり深く考えないように、アドバイスした。
「何か目印を持たせるなりなんなりして、先回りして監視したらどう。それで実物じゃないのが来たら、さっさと帰ればいいでしょ」
「でもそれって、なんか信義則に反する気がして」
信義則。正しくは、信義誠実の原則ともいう。互いが信頼を裏切らないように行動すべき…とする法原則のことであり、ある事実について知らず、かつ知らないことに落ち度がないという意味で使われる「善意無過失」という言葉と並んで、大学に入りたての法学初学者が何かにつけて使いたがる法律用語だ。明日香が民法の勉強が必要な資格試験を受ける話は聞いていないから、どうせ沙友里あたりから刷りこまれたのだろう。
「信義則違反をしたのは、自分じゃない人物の写真を送ってきた、向こうだとは思いません? 明日香ちゃん」
言いながら、わたしはトングでシーザーサラダを掴む。ザクッ、というざらざらした音とともに、クルトンが砕けた。
「だって、明日香は自分の写真、送ったんでしょ」
「目元だけだけどね」
恥ずかしそうに、明日香は笑った。
「顔だけは絶対にやだって断ったら、それなら今度会おうよって話になっちゃってさ」
「まあなんにせよ、予防線を張っておくに越したことはないね」
シーザーサラダを頬張る。うん、わたしはよっぽどボケているらしい。ちっともドレッシングが混ざっていない。葉っぱの青臭い味しかしなかった。
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