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「トニア?」サッケルが制圧しているのはトニアだと、見た瞬間に体は理解していた。しかし脳がその情報を処理し、もう動かない彼の名前を呼ぶのに数秒の間があった。その間にもサッケルはトニアの胸部を刺し続ける。規則的に体を刺すアームの音。その度に血が飛ぶ。茶色のくせ毛。見開かれた緑の目には何も映っていない。
「トニア」後ずさったユーゴの足が枝を踏んだ。乾いた音が辺りに響く。サッケルの三つのモニタアイが独立して動き、ユーゴを認識した。その上にべったり血がついている。体を起こし、ユーゴに向き直る。
「止まれ」命令してみる。人間の停止命令はいかなるプログラムにも優先するはずだ。
「サッケル! 止まれ!」怒鳴った。鋼鉄の体が停止する気配はない。
ユーゴの本能が告げた。
逃げろ。
俺を殺す気だ。
ユーゴは駆け出した。
異変は世界中で同時に起きた。
「おい、嘘だろ。扉が開くぜ」
「今だ。来い。すぐにシステムが復旧するぞ」
「しかし、ずいぶん待ったな。このまま死ぬのかと思ったぜ」
「ここも居心地悪くなかったんだけど。酒、ない?」
「バカ言え、とっとと行くぞ」
「な、予定通りだろ? あいつはどうする?」
「起こせ。計画に必要だ」
森に雨が降り出す。予報より随分早い。
濡れるのも構わずユーゴは走った。息が切れる。頭の中で疑問が浮かび、増え、ぶつかって混乱する。
ロボットが人を刺した? どうして? ありえない。ロボット三原則があるのに。
息が続かない。立ち止まった途端に吐き気に襲われ、大木にもたれかかった。
トニアが死んだ。
いや、殺された。
ロボットに、だ。
この辺りでサッケルなんて、居住区域「クレードル」外のルーゲル刑務所にしかいないはずだ。軍事用ロボットがどうして。
振り向いたのは偶然だった。さっきのサッケルがすぐ背後に立っている。
「うわああぁ」右アームの捕獲を逃れたが尻餅をつく。すぐに左アームが伸び、背後の木を刺した。
ユーゴの体が反射した。這うように逃れ、再び走る。
「止まれ! 止まれ止まれ!」
なんだこれ?
ロボットは人間の道具のはず。
ロボットは人間の言うことを聞くはず。
ロボットは人間より下の存在のはず。
なんで言うことを聞かない?
サイレンが鳴り響く中、ユーゴは一人でたらめに森を駆ける。
世界が変わったようだった。さっきまでいつもの毎日だったのに。
ほんの1時間前まで。
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