油温175度

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 艇内の天井に、稲光のような亀裂が幾筋も伸びている。油の熱い滴が、絶え間なく落ちてくる。滴の粒はしだいに大きくなり、土砂降りのようになった。  長門の体は油まみれになった。息を吸うと、油が鼻孔から侵入して咽喉の奥へ流れ込んだ。粘膜が焼けて、激しく咳き込んだ。  肺と気管支が激しく痙攣して、苦痛のあまり、長門の体は海老のように反り返った。  防護代謝機能は強化プログラムの更新を開始したが、長門自信の体力がなければ無意味だった。  油の雨は容赦なく男の全身に降り注いだ。甲殻類のそれのようになった皮膚は、油の飛沫を弾き返した。だが、亀裂はさらに太さを増して、濁流のようになって襲いかかった。  さらさらした熱油が、艇内に溜まっていく。  もはや潜航艇の操縦は不可能だった。  なんでこんな仕事を引き受けちまったんだろう。  長門は混濁していく意識の中でぼんやりと思った。      5 「いやあ、大成功です。最高のイベントになりました。九死一生、ギリギリ生還しました。こういう企画でないと、視聴者は喜ばない」  リー・副島は、税務局長の瑞瓜に握手を求めた。瑞瓜は副島の手を握り返した。 「お宅もひとが悪い。初めからそういう企画だとおっしゃればいいのに。実は私も、あなたほどの人が脱税するとは考えられなかった。カズユキの、人体実験プログラムだったとは、驚きました。それにしても、随分とまわりくどいやり方でしたな」  瑞瓜は巨体をゆすって笑った。 「ところで、運転していた青年は大丈夫なのですか。ひどい火傷をしていたみたいだが」  笑いが鎮まると、瑞瓜は声を落とした。 「彼は、深海の熱水生物の遺伝子情報が組み込まれています。数百度の熱に耐えられるようにサイボーグ化されました。今回はまだ初期設定ですが、自分の脳で考えるコンピューターの、商品化というわけです。深海に眠る希少鉱脈の採掘に役立つはずです。かろうじて生還しましたが、これからはもっとギリギリの環境に遭遇することになるでしょう」  副島は口許を緩ませながら答えた。 「ほう、政財界のトップは考え方が違いますな」  瑞瓜は皮肉っぽく言った。  二人の男はコロッケが浮かんでいるプールを眺めた。  波打っている油面に、もう一人別の影が映った。  班長の加賀だった。 「部下をオモチャにされて、笑う奴はいない」  彼の右手には拳銃が握られていた。 
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