油温175度

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 油中行動のため基本的に通信はできない。  潜航艇が揺れた。クレーン車のスプレッダー(垂直昇降運搬機)のフックが潜航艇の固定を完了すると、横行桁を滑り、プールの真上へ移動していく。  いよいよ自分の番だ。生身の人間を相手にする戦闘とは異質の緊張感が胃のあたりを締め付けている。  眼下は水でも湯でもない175℃の油槽。  艇内の気温はマイナス20℃。冷凍コロッケの芯温と同じ設定にしてある。潜水艇の構造も、ジャガイモと小麦粉を主原料としており、長門がいる操舵室のみが、卵の殻のように薄くシールドされているにすぎなかった。  通常の艦船のような金属では熱伝導が早すぎて、熱焼死してしまうため、本物のコロッケと同じ構造になっている。つまり、衣、ペースト状ジャガイモの層になっているということだ。  コロッケ型潜航艇は、スプレッダーから切り離されて、静かにブレンドオイルの中に沈んでいった。  艇窓に金色の気泡が無数にこびりついている。艇の表面の空気が油の中で弾けて行き場を失い、金色の丸い玉に変化したのだ。  艇内の空気は9分間しかもたない。8分25秒で隠し金の場所を探し、回収する。残り35秒で浮上し、きつね色に揚がったコロッケ艇を巨大な網て掬ってもらう。  新しい油のせいか、透明度は高い。  沈んでいる夥しい数量の本物のコロッケが確認できる。  深度3メートル  油温172℃、室温マイナス10℃。速度1ノット。  微速前進 ヨーソロー。  長門は操舵しながらつぶやく。ボイスレコーダーに録音するためもあるが、自分を鼓舞するためでもあった。  目視とソナーによる油底捜索の開始だった。  ブツが油と同じ保護色で覆われているのか、油底に埋め込まれているのか。それとも単に放置されているのか。  面舵5度、前進。    そのとき、油中を浮遊するコロッケがぶつかった。  どーんと衝撃が伝わった。艇が左右に揺れる。  コロッケ同士が衝突したくらいでは、身崩れすることはない。長門は、スーパーの研修で、コロッケ同士がくっついても、外部から故意に力を加えない限り、何も起こらない事を学んでいた。  しかし、油温の伝導は早い。すでに室温は0度まで上昇していた。  腹這いになっているので、腹部に灼熱感がある。すぐわきのジャガイモの壁面にプチプチと結露ができはじめた。かすかに油の匂いがする。  長門は眸を凝らして、カネの場所を探した。
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