ジョン・万次郎

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幼い頃に父を無くした万次郎は、好奇心旺盛であらゆることにチャレンジする子供だった。 ある日、米ぬかを木製の槌で叩いて、剥く作業をしていた万次郎は、臼の中に小石を入れることを思いつき、それによって作業の効率性をあげられることを知った。その事を大人に喜んで報告すると、作業をサボるなと叱られた。しかし、万次郎は自分を信じる子供だったので、おかしいのは大人だと思った。 その後、漁船の手伝いをしていた所、嵐にあって遭難し、現在の鳥島に流れ着いた。島で飲み食いも満足できない状態を143日続けると遠くに舟が通りかかったので助けを求め、ようやく無人島の生活から解放された。その舟はアメリカの捕鯨船であった。当時の必需品である蝋燭の原料を捕るために太平洋を航海していたのであった。 万次郎はその航海で見事に鯨を見つけ出し、捕獲されたので船員の証として、ホイットニー船長から帽子をプレゼントされた。そこで万次郎はアメリカ人を仲間だと認めた。 航海を終え、舟はハワイに着くと万次郎はホイットニー船長にアメリカに来ないかと誘われた。万次郎は迷ったときは行動する人間であったので、その誘いにのった。 アメリカでは、ホイットニー船長の家で過ごさせてもらい、船員として働き、その間大学にも通い、成績はトップとなった。そんな万次郎に祖国の悪い噂が入ってきた。当時日本は鎖国状態であり、アメリカ人が幽閉されたり、攻撃されたりする事件が相次いだ。そこで万次郎は自分にしか出来ないことをしようと思い、日本を開国させることを考えた。 万次郎は、帰国したさいのお金を稼ぐために当時アメリカで起こったゴールドラッシュに向けて、旅立った。数ヶ月間で貯めたお金で、ハワイに寄り当時の仲間を連れて、現在の沖縄県にたどり着いた。 そこで万次郎は開国の必要性を説き、スパイだと思われ、幽閉されてしまう。だが、その数年後黒船が来航し日本に開国を迫ると、幕府は一転して万次郎を家臣として向かいいれ、開国を迫るアメリカの通訳として使おうとした。だが、当時の開国反対派によって万次郎は幕府から追い出され、万次郎の活躍なく、開国となった。 万次郎はそれを悔いたが、開国した日本において外国の知識が不足していたため、教えを請う人びとが殺到した。 その後、出発の日に挨拶をしていなかったホイットニー船長 のもとへ行き、そこで改めて感謝をして、帰国後間もなく亡くなった。
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