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「雪野、なんか飲む?」
「いらねえ」
「そう」
秒針の刻む音が、やたらと大きく感じる。
そうだ。ここはひっそりとした家だった。潤平がふらふら出歩いているときには、俺はここでこの音を聞いていたのだった。
「母さんね、俺のこと怖がってた」
やがて潤平が、ぽつりと溢した。
「そりゃそうだろ。家血まみれにしたり油まみれにしたり、こえーわ」
「だよねー、はは……」
笑い声が、不自然に止まる。
「潤平?」
「どうしよ、かなしー。母さんもうすぐいなくなっちゃうかもしれないんだって」
潤平は子どもみたいに、椅子の上で膝を抱える。
「悲しいなら泣けばいいだろ。へらへらへらへらしてんじゃねえよ」
「だって、シンの前でカッコ悪いとこ見せたくないじゃん……っ」
馬鹿か。格好なんか気にしてたのか。俺にボコボコに殴られたりハメられたりしてた奴が。
潤平の背中を、そっとさすってみる。こんな触れ方したことがなかったから、どうしてもぎこちなくなる。 歪な関係を続けているだろう二人なのに、母親のことで泣く姿は見せたくないだとか、妙なところで格好つけるところが幼くて、おかしい。
「ばばあ、ちゃんと母親してたんだな」
うんうんと顔を膝に埋めながら頷く潤平から漏れる嗚咽を聞きながら、俺は母親の姿を思い浮かべようとする。しかし仕事や浮気相手のところに行くために家を出て行く後ろ姿しか、浮かばなかった。
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