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すっかり旅支度を整えた賢は、長安の北にある船着き場から河を眺めていた。
早春の渭水はあくまでも碧く、水面には幾羽もの白鷺が浮かんでいる。
川岸に咲く桜が散らせた花びらが、水鳥の頭上で吹雪のように舞っていた。
「風蕭々として易水寒し。壮士ひとたび去って復た還らず、か……」
賢が柄にもなく感傷的な台詞を呟くと、後ろに人の気配がした。
「荊軻の詩ね……私はあまり好きじゃない」
振り向くと、春らしい花柄の服を着た小麗が立っていた。
「誰にも言わずに出て来たはずなんだがな……」
「言わなくてもわかるわ」
小麗の目ははっきりと潤んでいた。
「本当に行ってしまうの? あなたは必要な人よ、清にも李家にも……私に━━」
「おまえと清が夫婦として仲睦まじく暮らす様子を、俺に横で見ていろと言うのか?」
小麗の言葉を賢は途中で遮った。
目に涙をいっぱいに浮かべて、小麗がきつく唇を噛む。
それが賢にとってどれほど残酷な事か知っていたからだ。
「だったら……どうしてわざと負けたりしたの? 清のため? それとも私のため?」
小麗の潤んだ瞳に見つめられ、賢は横を向いた。
「勘違いも甚だしいな。俺は勝ちを譲った覚えはない」
横を向いたまま答える賢に、小麗がそっと歩み寄る。
「あなたはいつもそう。本当は優しいくせに冷たいふりをする。私、あなたのそういうところ、大嫌いよ」
言った瞬間、小麗の両目から涙が溢れた。
零れた透明な滴が頬を伝わり、ほっそりと尖った顎先に流れ落ちる。
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