0人が本棚に入れています
本棚に追加
壱
男は、檜皮色の薄汚れた着物をつかんだまま、朱雀大路から西に走った。
もはや、自分はこちら側の人間になったのだと、空腹のはずの身体に力を漲らせる興奮が、男を走らせた。
凶事が続き荒れた洛中の中でも、朱雀大路の西側は盗人、狐狸の棲み処と化し、もはや洛中と呼ぶのもはばかられるありさまだった。
西寺の塀を回り込んで、ようやく男は立ち止まった。
降りしきる霧雨が、男の身体であたたまり、湯気となって立ち上る。
塀に背を預け、肩で息をつく。
荒い息の間をぬって、男は腹のそこから込みあげる笑いに肩をゆらした。
人気の絶えた都の大路に笑い声が響く。
それに驚いたのか、塀の向こうで鴉の羽ばたく音がした。
ひとしきり声をあげて笑ったことで、興奮が治まってくる。
それでも、手の中にある着物が男に力を与えた。
先ほど、老いさらばえた女から奪い取った着物だ。
老婆は、生きるために他人から奪うことの何が悪いと、そのようなことを言った。
その通りだ。
男は、開き直って死人の頭髪を抜く老婆から着物を奪ったことを、たまらなく愉快に思った。
何をうじうじと悩んでいたのか。
門前の石段に座り、無人の朱雀大路を眺めながら悩んでいた時間が、馬鹿馬鹿しい。
最初のコメントを投稿しよう!