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日が昇り始めると、男は2枚の着物をつかみ、廃寺を後にした。
それからは、生きるために盗み、奪い、神も仏もなく、売れるならば仏像でも売り払った。
その生き方は、男を高揚させ、愉快にさせた。
定まった家などなく、検非違使を見れば、逃げ隠れする毎日ではあったが、どこまでも自由で、自分の思うがまましたいことをする。それは、暇を出される前は、考えられない生き方だった。
主人の顔色を窺い、時にぶたれ、自分のすべてが支配されていた。
なんとつまらぬ人生だったのか。
俺は、生まれ変わったのだ。
男は、新しい生き方に満足していた。
けれど、ふとした折に、人を喰らって花を咲かせた桜が、心をさらった。
あの美しさが、忘れられぬ。
ほろほろと緩んでいくつぼみ。
視界いっぱいに咲き誇るあまたの花。
闇のなか、ひらりひらりと舞う、花弁。
男は、自分の頭の中の桜に、ほうっとため息をもらす。
あれは、人を喰らって生きるから、あれほど美しいのか。
あの美しい桜を思うとき、男の心は、少し空虚になった。
自分の毎日に感じていた高揚が、不意に冷めていくのを感じる。
あの桜は、忘れた方がいい。
そう思うのだが、いつのまにか心は桜を思い描く。
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