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◆◇◆◇
私と猫の愛した、ただひとりのひと。
あの愛しいひとは、春の穏やかな陽射しのようだった。
出逢いはいつかの花見の頃。
桜舞い散る光景と花見客らの賑わいを背に、迷いなくまっすぐこちらに向かってくる少年。
誰からも見向きもされないこの老いぼれ桜と、その根元に潜んでいた誰からも見捨てられた仔猫に、あの子だけが目を向けてくれた。
少年の薄い色素の茶色の髪が陽光を浴びて、淡い金色に輝く。
その金色が背後に広がる満開の桜によく映えるものだから、美しく咲き誇ることのできる他の桜たち相手に、私はどんなに嫉妬したことか。
「こんにちは。ねえ、キミ達の傍に寄っていい?」
それがあの子の第一声。
他の人間とは違う。無断でズカズカとこちらの領域に踏み込まない。
私と猫に敬意を払い、"是"をひたすらに待ってくれたのは、あの子だけだ。
まず先に、少年が傍に寄ることを認めたのは猫だった。――否、認めたと云うよりも、根負けしたと云うべきか。
少年はただただひたすら猫と見詰め合い、たまに猫を「かわいい」だの「かっこいい」だのと褒めちぎり、隙を狙ってじりじりと距離を詰めていく。
最初は警戒して、牙を剥いて威嚇していた猫も、少年の粘り強さに、とうとう諦めた。
呆れた顔で香箱座りをした途端、少年から指先で頭を擽られ、遂には巧みに喉を撫でられて盛大に喉を鳴らす始末だ。
一人と一匹、揃って私の根元で日向ぼっこを始め、そしておもむろに少年は私を見上げてこう言った。
「キミのそばにいると、とても落ち着くね」
それはね、「老いぼれ」と鬱陶しそうに言われ続けて幾久しい私にとっては、どんなお世辞も敵わない最上級の口説き文句だったのだよ。
本当に嬉しくて堪らなくて、だから彼にお礼の花を一輪落とした。
彼は驚いた顔をして、それから満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう」
その笑顔のなんと美しいことか。
まるで新芽が萌え出たように、瑞々しく輝くのだ。
たった一輪の花を手に、あどけなく、弾けるようにあなたは喜ぶ。
そんな笑みを見せるひとに、惚れずにいられようか。
――本当に、私はあなたを愛していたのです。
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