死にに行く

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 もうなにもかも諦めたつもりだったのに、涙が流れるのはなぜ。  森の奥に進み、ふと視界が開けたと思えば、そこは静かな湖だった。  こんなところに湖あったっけ、と不思議に思う私。この先にあるはずのつり橋から身を投げるつもりだったのに。でもいいか、と思い直す私。死期が数十分早くなるだけだ。  湖畔に生い茂る背丈ほどの草々をかき分けるようにして、湖面へと進む。温泉宿の浴衣の裾に冷たい湖の水がしみ、動くのに抵抗が増したことで、私は初めて自分の足が入水したことを知った。  湖底にある砂や苔の生えた石を踏みしめながら、私は進む。ヘドロのような気味悪い感触はない。この荒んだ現代に綺麗な湖が残っていてくれたことに、少しだけ気分が晴れた。 「私が死んでも、私の死体は微生物が分解し湖に生きるモノの糧になる……」  私はそのとき恍惚とした表情を浮かべていたに違いない。会社という池には生き物の死体からなにかを得る仕組みが存在しなかった。延々と、魂を殺されたゾンビのような社員を産み出すだけで、彼らから放たれる死臭はほかの社員の呼吸を許さない。勤勉でよい会社員という動く死体よりも、職務を捨てた若手社員という死体の方が、よほど「生きている」気がするのはなぜ。  どうせ死ぬのなら、自分の死体が誰かの役にたつことが、嬉しくて仕方がなかった。湖の魚に、それを捕らえる鳥に、獣に、私は生かされるのだ、と。
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