秋田戦争

7/10
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
庄内藩 藩主の酒井氏は、戦国武将で徳川四天王の一人、酒井忠次の嫡流。 左衛門尉酒井氏で譜代の名門の家柄。 元和8年(1622年)、信濃松代藩より酒井忠勝が13万8000石で庄内に入部、庄内藩を立藩した。 藩の財政は、酒田の大地主・本間家の尽力等により比較的安定した。 1855年幕府から北方警固を拝命し、 元治元年(1864年)江戸市中警護の功により、17万石の格となり、 慶応元年(1865年)、領知高は16万7千石余に達した。 幕末には、本間家の莫大な財力等で最新の軍備を備える。 庄内藩は江戸市中取締りの手当てとして、幕府から寒河江・柴橋の幕領を拝領していた。 3月、藩邸焼き討ちされた薩摩は、その幕領は新政府軍の支配となっており、 そこから勝手に庄内藩は米を持ち出したとして理由を付け、 慶応4年4月 奥羽鎮撫総督府は、庄内藩を追討対象とした。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!