秋田戦争

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大村藩 大村藩は、肥前国彼杵郡大村(長崎県大村市)に藩庁を置いた外様小藩。2万7千石余。 藩主大村氏は鎌倉時代にはすでに、この地を治め、明治維新を迎える。 1808年、長崎港にイギリス軍艦フェートン号が入り、オランダ人を人質にとるという「フェートン号事件」が起きる。 長崎奉行・松平康英は、これを追い払えなかったため切腹。 大村藩は衝撃を受け、外国に対抗するため近代化を図る必要性を感じたといわれる。 幕末期、12代純煕のとき長崎警固との関連等から洋式軍制への改革が進められる。 ペリー来航により、動乱が波及、 藩論は佐幕と尊王に大きく分かれた。 文久2年(1862年)、純熈が異例の長崎惣奉行となると佐幕派が台頭。 長崎は幕府直轄地であり、長崎惣奉行はそれまで幕府より派遣されていた。 尊王派はこれに対し改革派同盟(大村三十七士)を結成した。 元治元年(1864年)、純熈の長崎惣奉行辞任により逆に尊王派が台頭した。
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