秋田戦争

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大村藩士 渡辺昇は江戸で、練兵館塾頭の長州藩士・桂小五郎と知りあう。 桂の勧めで練兵館に入門する。 天然理心流第四代の近藤勇とも親交を持った。 近藤の道場試衛館で騒ぎがあると、助っ人で駆けつけることもあったという。 渡辺は大村三十七士に加わる。 海援隊隊士の吉井源馬と知りあいであり、そこから長崎で土佐浪士・坂本龍馬と会談する。 これを受け、渡辺は薩摩藩士、長州藩士、土佐藩士と協議。 そして桂小五郎たちと薩長同盟につて協議する。 慶応3年(1867年)、大村で改革派同盟の盟主である松林飯山が暗殺され、針尾九左衛門も重症を負った。 これに対して改革派同盟が中心となり、数十人もの粛清を行う。 この「小路騒動」と呼ばれた闘争を契機に藩論が一気に尊王倒幕へと統一され、 在郷家臣団を含む倒幕軍が結成された。 以後、薩摩藩・長州藩などとともに倒幕の中枢藩の一つとなる。 特に鳥羽・伏見の戦いの直前、近江国大津を固めるために大村藩が50名と少数ながら真っ先に大津に兵を派遣したことが 幕府側の援軍の京都侵攻を阻むことになった。
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