花のまぎれに立ちとまるべく

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花のまぎれに立ちとまるべく

山かぜに さくら吹きまき みだれなむ 花のまぎれに 立ちとまるべく   (古今和歌集 巻八 離別歌)    あぁ…さくら花よ。 その花吹雪で、あの人の行く道を閉ざしておくれ。 ずっと、共に在れるように。 「本当によいのですか?」 「ええ、よいのです。こんな私で帝の役に立てるなら」 さわさわ。 静かに御簾が揺れ、桜の花びらが舞い込んでくる。 目の前を隔つ御簾が貴女との身分差に見えた。 いっそのこと、今ここで想いを告げられたら、どんなにらくなことか……。 お互いの想いはわかっているのに、口にすることは許されない。 貴女は京で最も尊き血を持つ御方の妹だから。 「貴女が伊勢に行かれてしまったら、もうお会いできませんね‥」 あたり前のことなのだ。 この方は伊勢の斎宮になる。 斎宮とは帝に代わり、伊勢の神宮に仕える皇女。 京の人間にとって、ある意味帝よりも遠く清らかな御方。 私の言葉に貴女は御簾の向こうで儚げな微笑みを浮かべる。 「……はい‥」 後に続く言葉が見つからないというように、貴女は俯いた。 ふわりふわり。 微風が頬を撫で、さくら花を運んでくる。 私は、ぱちりと扇を開き近くにあった墨で和歌を綴った。 山かぜにさくら吹きまき みだれなむ 花のまぎれに 立ちとまるべく ぼんやりと滲む筆の跡は、私の心そのものだ。 さくら花を扇の上にふわりと乗せ、御簾の内側の貴女へと送りこむ。 貴女は、それを愛おしそうに受け取った。 「では、失礼いたします」 私は貴女からの返歌を待たずに御前を辞した。 返事を聞いてしまったら、ひどく未練が残るだろうから‥。
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