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「今晩は」
密やかな声で告げられた。
まるで大声を出せば満開の桜が散ってしまいそう、とでも思っている風情だ。
細く白い項が宵闇の中でも浮き上がって見え、肩に羽織るライラック色のショールが緩やかに揺らめく。
「今晩は」
初めて出会った人なのに、互いに警戒心もなく優しい声と微笑みを掛けてしまう。
こんな春の夜は、誰でも人に優しくなれる。
そして優しくされたいのだろう。
「ここ、穴場ですよね」
「ええ」
その女性は僕の母親と同じ位の年齢に見えたが、子供の様な無邪気さの残る顔があどけなく、ともすれば僕と同じ年頃にも見える。
明かりの少ない場所だから、仕草に落ち着きを感じなければ、そしてこんな場所に女性が一人で来る大胆さを思わなければ一目見ただけでは年齢不詳な人だった。
「よく、来られるのですか」
小首を傾げ、見上げて来る姿が可愛らしい。
「はい。秘密の場所、と思っていたのに、先客がいてちょっと残念な気分です」
悪戯っぽく含み笑いし、枝垂れ桜の枝先に咲き誇る花にそっと触れた。
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