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空っぽになった重箱と水筒を下げて、奈月桜舞は小走りで来た道を逆走し、元いた場所――会崎眞唯(まい)の傍らに戻った。
「ただいま。お待たせしました」
「おかえり。別に待ってない」
スケッチブックから目を離さずに、冷たく言い切られた。
眞唯は一心不乱に、開き始めた桜と水温む池をスケッチしている。
趣味ではなく仕事の一環、パティシエとしての感性を養うための修行なのだそうだ。
熱心ですごいなぁ。同じ店で働くギャルソンとしては、感心せざるを得ない。
「ちゃんと誤解は解けたよ。仲直りしてた」
簡潔に首尾を報告する。仲直りというのんきな単語が、果たして適当なのかは分からないが。
「そうか。――がんばった桜舞君に労いだ。それどうぞ」
水彩色鉛筆の粉を指先で伸ばしつつ、眞唯がベンチの上にちょこんと乗っかっているものを声だけで示す。
懐紙に包まれたままの、桜もちだった。
今日の花見――正確には、風景スケッチに来た眞唯に勝手についてきただけだが――のために、桜舞が作ったものだ。
五つ作ってきたのだが、四つは汐野一家にお福分けしてしまった。
「お前の分、無くなったろ」
「これは眞唯の分だ」
「俺はいい」
「だって眞唯に食べてほしくて作ったんだぞ」
眞唯がやっとこっちを向いた。微かな驚きで、その目はやや見開いている。
(……そんなに驚かなくても)
せっかく桜の下で過ごすのに、空茶では侘しすぎると思ったのだ。
そしてもうひとつ理由があった。
「眞唯、桜もち食べたことないって言ってたから……お菓子作りの心得はありませんが、いっちょ作ってみました。
だから、――眞唯が食べなきゃ意味が無い」
頑なに突っぱねる。桜舞の妙なところの頑固さは、汐野家の父親にも引けをとらなかった。
色鉛筆を置いた眞唯が、桜もちを取り上げる。
菓子楊枝を使って真ん中で切り、その下の懐紙も千切り、半分を桜舞にずいっと向けた。
「半分どーぞ」
目線も合わさず、ぶっきらぼうに渡される。
「……どーも」
眞唯の思いがけない行動に、桜舞は妙な面映さを覚えた。
言葉が詰まって、両手で受け取った桜もちと共に、すとんと隣に座った。
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