黄泉桜の夜

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「井上君、申し訳ないが君は今日限りでクビだ」  肩を叩かれたのは新年度の初日。クソ部長が脂ぎった眉間を寄せて、さも悲しいといわんがばかりの表情で告げた。俺にしたって「やだなぁ部長、そこは首じゃなくて肩ですよ」と言い返すほどのユーモアもなく、突然の解雇通告にぽかんと口を開けたまま立ち尽くすことしか出来なかった。 「うちにとっても断腸の思いでね」  部署の人件費の削減を突きつけられたに違いない部長は、あぶらで眉間をテカらせて唸った。  配置転換とは名ばかりの解雇部屋に突っ込まれ、来る日も来る日も誰もいない資料室で重い書類の束どもの整理を命じられた。三日と持たずに嫌気の差した俺は社外秘と書かれたちり紙で鼻をかみ、たんを吐き捨てたところで会社を追い出された。  翌日には社員寮からも放り出され、中堅企業の正社員は一週間立たずして三十路の住所不定無職へとジョブチェンジってわけだ。社会保障ってやつはああだこうだと御託を並べるばっかりで、便所に捨てられた雑誌ほどの役にも立たなかった。あっという間にすってんてんである。  世の中ってのにとことん嫌気がさしちまった俺は、朝から酒を飲んではあてもなく都会のコンクリートジャングルをさまよった。もともとギリギリ六桁しかなかった俺の貯金残高は、あれよあれよと四桁にまでその数を減らした。 「エイプリルフールにしちゃ、長すぎないかねぇ」  ふらつく足取りでひとりごちてみても、子連れの母親が眉をしかめるだけである。日が暮れて今日はどこで寝るかと目についた場所は、今まさに満開の桜が舞う公園であった。幸い、こういうところによくわく騒がしいガキもいない。 「いいねぇ、桜が俺のために泣いてくれてらぁ」  ひときわ大きな木の幹に寄りかかり、もう一度酒をあおった。朝から何も食べていないせいか、食道から胃に流れ込んだアルコールが俺の視界をグルングルンとまわしやがる。俺は今日という日を閉店することにして目を閉じた。  そこで、この女の声を聞いたのだ。
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