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「ダメよ、その呼び方」
まるでじゃれ合う夫婦喧嘩のような先輩の口調に、構わず入ろうと踏み出しかけていた足が思わず止まった。
「元カノの名前をポロっと言われたら女は本気で傷つくんだから」
「懐かしいな、美紀のダメ出し」
「だからその呼び方やめてよ」
「はい、ごめんなさい」
ふざけて笑い合う二人は、俺が見てきたずっと昔の雰囲気そのままだった。
高い壁の前で立ち尽くす。
「美紀、最近変わったね」
「そう?」
「うん。何となくね。
誰かいるの?」
なぜか息ができずに先輩の声を待つ。
もう課長を受け入れているのか?
「…言わないわ。怜なんかに」
言葉は曖昧でも、その口調は柔らかく肯定を含んでいた。
それほどいとも簡単に課長を受け入れられたのは、課長に片桐主任の面影を認めたからなのか。
すべては俺が越えられない壁の向こう側で進んでいくんだ。
「そっちだって呼び方ダメだよ」
苛立ちのまま、親密な空気を蹴散らすように足を踏み入れると、長椅子に並んで腰かけた二人が笑いながら振り返った。
途端に先輩の顔が凍りつく。
その場限りで寝た男の登場が、さぞかし都合悪かったのだろう。
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