春嵐

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春嵐

桜の花びらが、鼻先を掠めて行く。それをぼんやりと眺めながら、この景色も見納めなのだと、ふと昂はそんなことを思って振り返った。住み慣れた部屋は、もうガランとしていて昨日までの生活感を失くしていた。  小高い丘の中腹にあるこの家は、曾祖父の代から受け継がれてきたものだった。いずれは昂が継ぐものと思っていただけに去り難い。せめて桜の季節まではこの家で過ごしたい…そう我を張った祖母の気持ちが、この眼下に広がる桜を見るだけで理解出来てしまう昂だった。 「昂!何してるの!?」  最後の点検宜しく各部屋を見回っているらしい母の声に、ビクリと昂は首を竦ませた。 「早くなさい!トラック出ちゃうわよ」 「うん…」 黙って頷いておいて、足元に置いた天体望遠鏡と双眼鏡を抱えると昂は部屋を後にした。 玄関口で、振り返り、昂は母を待つことにした。昨夜、言い出せずにいたことを言う決心が付いたからだ。暫くして、階段を降りて来る姿を認めておずおずと声を掛ける。実は、昨夜からのピリピリとした母の苛立ちは、子供の昂にすら分かるものだった。 「おかあさん…」     
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