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気取り屋の鼻持ちならぬ男と見る学徒もいた。
無理もないことで、孔明は自らを、春秋時代の宰相管仲と戦国時代の将軍楽毅に比した。
若者が敬慕する対象を人生の指針とし、さらに憧れが進んで自らをそれに擬す心理状態になることはままあることだが、孔明が語るときはそういった陶酔は極めて少ない。まるで、長年観察してきた庭の草花の様態を本草学者が客人に述べるように英傑たちを語った。
そのため、聞くものによっては敬恭の心を持たぬ者のように、あるいは不遜な者のように見えた。
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