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山と山に閉ざされた集落の中のどこか一か所に殆どの村民が集まっている光景は、当時はもちろん今でも度々目にするし参加する事もあるから、そんなに珍しいものにも思わない。
でもその時は、そうやって皆が寄り集まってただの一樹の桜に見とれているという様子は何だか何かに憑りつかれているようで、幼心に気味が悪いと思っていた。
月光を反射するようにして”発光”している、満開の桜を見るまでは。
紫がかった薄ピンク色の花弁は、弱々しく村中を照らす淡い月の明かりの下で。
見間違いではなく比喩表現でもなく、確かに──
確かに花びら一枚一枚が、きらりきらりと”光っていた”。
年に一度夏の時季だけ遠くの町からやってくる露天商のおじさんが売っていたような、ピカピカ光る腕輪や冠のおもちゃを彷彿とさせる光り具合だった。
でも、ただ彷彿するだけで、ああいう夜光塗料の安っぽい光り方とは雲と泥ぐらいに違う、もっともっと自然美の溢れる、静かで清楚な光り方だった。
一緒にいた二人に二三度自分の名前を呼ばれなければ、もうずっとそのまま私は桜を見つめ続けていたと思う。その頃は自分が何故そんな風になったのかよく分からなかったが、今になって思うにアレがきっと俗に言う一目惚れという感覚だったのだろう。
幼いながらに私が胸に抱いてきた感動とか、衝撃とか、その日その時目にした光景の全ては断片的で朧気な思い出の一つとなってしまったが、そんな今でもあの一樹の桜に関してだけは枝の先端から土を被った根っこの太さまで鮮明に思い描く事ができる。
花屋に沢山寄り集まっている花々なんか足元にも及ばない。
道端に咲くタンポポとか、よその家の花壇に咲く赤白黄色のチューリップとか、そういうありふれたものなんて比べ物にもならない。
上品さがあって。淑やかさがあって。
そして──
”妖しい”。
そう、妖しさがあった。
美しいとか綺麗とか、そういう言葉だけでは言い表しきれない不思議なものを感じた。
枝から幹から蕾から、いっぱいに身を開いた花弁の一つ一つから、匂い立つような妖しい艶めかしさがあの桜にはあった。
それが、”贄桜”という名前の希少種の木である事を知ったのは。
宿り主という役目を担う事になったらしい姉の、十八年目の誕生日の夜だった。
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