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 私は脱力しながらも何とか立ち上がった。無の中、平衡感覚がままならないため揺れながら歩いているうち、本格的に右も左もわからなくなり前も後ろもはっきりせず、むしろ、今私は同じところを回っているだけなのでは、と思え始めた。森での遭難のような。しかし、音と視覚が全く遮断されている分、遭難よりタチが悪い気がする。この悪夢は一体いつになれば終わるのだろう。  めぐるめぐるめまいのなか足元のおぼつかなさに幼子の足取りを思い出し私の頼りない記憶に転んで膝小僧に擦り傷をこさえた映像がよみがえるが果たしてこれはどんなタイミングだったのか、ああそういえば、母親の背中を追いかけているときだった。  買い物に連れて行ってもらったとき高層ビルのように立ち並ぶ大人たちにぶつからないよう間をすり抜けてカートを押す母親の背中を追ったのだ。今になって考えるとスーパーの床はつんつるてんなのでよほどでない限りこけて怪我をすることはないはずだが、当時の私は間違いなく怪我をしたのである。泣きわめいた私を見下ろす母親は困ったように眉間を狭めて私に手を差し伸べた。私は母の手を取ってしまった。一番古い記憶の間違いの始まりだ。私は頼るべきではなかったのだ何せこの頼る行為が私への固執を強くしたのである。同じくおぼつかない今は手を差し伸べてくる人間が居ないので頼ろうに頼れないがそれが正しい、それが本来の私のあるべき姿なのだ間違いなく。  ――突然の衝撃に尻餅をついた。顔面を思い切りぶつけた私は、暫し顔を覆ったあと『何か』を見上げたが、勿論何が見えるわけでもなく。だが、謎の障害物の気配は、その場に有り続けているようだった。  立ち上がって、何なのかを確かめてみる。両手の平を差し出してみると、平面なものが当たった。慎重に左右へ手を滑らせていくと、曲線が現れ、線に沿って指先が丸まる。上へと滑らせていくと次第に細くなり、すぐ広がって柔らかな感触に当たり毛むくじゃらの球体を描いた。  これは、人だ。最初の曲線は肩で、次に首、頭部だ。証拠に、肩と思しきところから手を滑らせると、布越しに少し筋肉質な感触が伝わる。男に違いない。しかし、声をかけても相手に伝わらない。全く動いてもくれない。これは一体どういうことだ。たった一人取り残されたと思っていた暗闇にやっと人を見つけ出したというのに一切の反応がないとは。何度も触ってみたが変化はない。
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