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第四)父と娘
私は家族みんなの想いを背負って父と一緒に治療に励んだ。あらゆる検査。治療に淡々とこなす父。一切弱音を吐かなかった。私は改めて父は凄い人だと思った。タダでさえ仕事や普段の父をみて自慢の父だ。なんでも自分で解決してしまうから業者にきてもらうこともなかったぐらい。治療に関しても同じく。私はただガイドしているだけだった。最初のころは父も緊張をしていたり、病院のシステムがわからないというのもあったが慣れてしまうと1つ検査終わるとまるでアトラクションで遊んで来たかのように次はどこだ?と笑顔で私に聞いてきた。
ただ唯一父が零した弱音は抗がん剤の副作用で気持ち悪かったり、頭が痛かったりするから先生に薬を貰うように言われたこと。本当にこれだけだった。
1ヶ月過ぎる頃に放射線治療の為、入院することになった。言葉が解らない父が心配だったが先生や看護師さん達が優しく父に接して、一生懸命理解しようとしていたのを見て安心した。ここなら父を任せられる。私は挨拶を済ませて、父としばらく病室にいた。父の方が私を心配していたのだ。
このころ、兄は結婚する為、母と一緒に中国に行っていた。家には私と父だけだったのだ。母達は1ヶ月以上帰ってこない。父も1ヶ月近く入院予定だった。母達が出発して1週間後に父の入院でほぼ私の人生初めての1人暮らしになった。そのことが父は自分のことより心配だったようだ。私は子どものころ、父と母は仕事で兄も帰りが遅い日があった。その時急に怖くなった私は少し離れた祖父の家に駆け込んで、祖父が母を探しに行って早退した母と家に帰ったということがあり、その日から1人になったことがなかったのだ。その父の心配をよそに大きくなった19の私はプチ1人暮らしが楽しみで仕方なかった。怖いなんて一切なかった。病室から帰った私に祖父母や親戚、そして父までが電話をして心配してくれた。私はみんなに1人で大丈夫だと伝えて1人の時間を楽しんだ。時間さえあれば私は父が寂しくないように毎日のように病室に見に行った。父は毎日こなくていいと言ったが嬉しそうだった。
なんだか父が病人なのが不思議なぐらい普段と変わらなくて私は希望に満ち溢れていた。
きっと父は治る。根拠のない自信がみなぎって私をそう思わせた。
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