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…ねえ お父ちゃん
まだ、届きますか?
あれから5年私は変わったよ。日本も世界もね。
変わらないのはあの日の気持ち。
5年前、二十歳の私につきつけられた真実。
父の肺ガン診断。
ガンなんてテレビでよく見る日本人が死ぬ病1位。
でもそんな画面越しの世界に招かれるとは思いもしなかった。
我が家は少し特殊な家系で母方の祖父が日本人、祖母が中国人。母はいわゆるハーフだった。
祖父が幼少期世界は第二次世界対戦が起こり逃命の為中国に渡った。中国人の養子として拾われ、祖母と結婚し家庭を設けた。その後戦争がなくなり、中国残留孤児として祖父は日本に帰化した。そのことがあり、私たち家族もみんな一緒に日本に帰化した。父は純粋な中国人だった。私はクウォーターにあたる。
父は家族の為に故郷を離れ、慣れない地で言葉もわからず必死に仕事をしてきた。母も同様に毎日仕事に明け暮れていた。私には歳の離れた兄が1人の4人家族。いつも兄が学校終わり私の面倒を見ていたが、ちょうど兄も思春期で妹の私を物凄く煙たがっていた時期だった。そんなこんなで可哀想に思ったのか日曜日になると父は私を遊びに連れて行ってくれるようになった。
父は無口で優しい人だった。見た目は怖いからよく誤解もされたけど私には大好きなパパだった。
いろんなワガママも言ったりして困らせたこともある。そんな父は私にだけお茶目な一面をだしてくる。学校から帰ってきてインターホンを押すと必ず父がでる。父は私だとわかると受話器越しに『ふー!!』と吹きかけてきては、すぐにドアを開けて『どうだ?ビックリしたか?』と嬉しそうに言ってくる。高校生になっても買い物はよく父と行った。朝起こしてくれるのも、行ってらっしゃいも。おかえり。ご飯何食べる?も。全て父がしてくれていた。
母が嫌いでも、何もしないわけではない。母は若い頃から持病を持っておりがむしゃらに働いてた所為で悪化してあまり動けなくなったのだ。
だから必然と父が全てをやるようになった。
そんな日々を過ごしているうちに私はすっかりお父さん子になっていた。
そんな専門学校に通っていたとき、父の病を宣告された。
診断の結果、肺ガン五段階中第三段階。
完治は五分五分だった。
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