試し読み1

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   その白拍子は雛丸と名乗った。なるほど見目は少年かと思う程に凛々しく、しかし袖からちらりと覗き見える指先はまごうこと無く少女の繊細なものである。 「似合いの名だな」  くぐもった笑いに雛丸はどう返したものか悩むように顔を顰めた。しかし眉間による皺すらもが愛らしく、左府殿の囲い女であるという話が確かなものだと確信するに十分だった。 「お前のように美しい者は私のような醜い男を知らぬのだろうな」  木綿の布越しとはいえその言葉の一言一句も違わず相手に伝わっている自信はあった。男の声は大きく明瞭で、かつて宴の折には朗々と美しい声で宮中に響き渡るように歌を詠んだものだ。それがどうだろう、都の主が代わった途端に全てはくるりと変容してしまった。否、きっと何も変わっていない。ただ新たな主君が男を信じられなかった、ただそれだけのことなのだ。 「……わたくしは」  それまでぴくりとも動かなかった小さくふっくらとした唇が、震えるようなか細い声を紡ぎ出す。しかし声音とは裏腹に雛丸の視線は鋭く、男の顔から逸らされない。 「わたくしは、つまらぬ下賎の者でございます。高良卿には想像もつかないような醜い生き様を経て参りました。その中においてあなたよりよほど見目も性質も醜い者は数え切れぬほどおりましたから、……知らぬとは申せません」  高良卿と呼ばれた男は喉の奥でくつりと笑う。その言い方では高良が醜いことを欠片も否定していないことに雛丸は気が付いているのだろうか。 「正直だな」  薄く笑うと、雛丸は軽く目を伏せた。わかっていて、そう言ったのだ。 (面白い)  高良は見た目に反して優雅な所作で素早く立ち上がり、改めて雛丸を見下ろした。 「今宵の舞、私も楽しみにしているよ。特に《吉野殿》には満足して頂かなくてはならぬと左府殿は仰っておいでだからね」  本人からも聞いているだろうがあえて強調した名前に、雛丸の美しさがほんの少し翳ったように思ったが、「かしこまりました」とひとつ頭を垂れた後、上げた瞳には妖艶な輝きが灯っていた。
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