第1章 弦楽のためのレクイエム

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「最近、眠れないんだ。お願いだ 僕を眠らせてくれないか、永遠に」 驚きを隠せない、エリの顔が強張る。 言葉が出ない彼女が場を和ませようと スマホのラジオアプリを起動する。 『日本を代表する音楽家、勿津晴人さんの ゴーストライター疑惑で、渦中の疑惑の 人物が高光徹氏だった事が 判明しました。週刊誌記者である 千天文春氏が勿津晴人氏に対して、 緊急記者会見を要請しました』 ラジオニュースに、慌てて彼女がスマホを シャットダウン。 「もはや・・・これまでか」 「まだ隠し通せるわ!」 彼女の声が虚しく響き、うな垂れたように 俯いたままの晴人。 その時だった、晴人が持っていたスマホ から急かす様に、着信音が鳴った。 スマホを取り出し、通話ボタンをタップ すると相手は高光だった。 「勿津さん、雑誌記者が自宅に来ました! もう駄目だ、洗いざらい全てを話す!」 「駄目だ!待って下さい高光さん。 そんな事すれば、私達は破滅してしまう! そんな事をすれば・・・俺は自殺する!! 俺が行くまで待ってて下さい、 いいですね!!」 通話ボタンを押した晴人は、動揺を 隠せないまま、エリとの視線を 絡ませる。 「これから君にも迷惑が・・・ 別れてくれないか?」 「いいのよ私は、でも貴方には奥様が。 わたしも覚悟が出来てるわ、いざとなれば 芸能界を引退して出家します」 悲痛な瞳の晴人に対し、毅然と答える エリ。 「ごめんなさい・・・すまない」 思い詰めた表情で重い口を開く晴人、 グラスに注がれたシャトーワインを 一気に飲み干す。 「いつまでも、私は貴方の恋人だから」 その時、エリが零す涙を初めて見た。 「エリ・・・」 意を決した様に頷きながら立ち上がり、 急いで部屋を出て行く崖っ淵の男。 彼の後ろ姿を見送る彼女にとって、 とても妊娠の事実を伝えることなど 出来なかった。 (終)
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