第1章 弦楽のためのレクイエム

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都内にある工業団地の一角に、4階建ての 棟が並んでいる。 1960年代に建造された団地で、かなりの 老朽化が進んでいるようだ。 外側から観ても、建物のあちこちに コンクリートのひび割れが散見される。 最上階の一室に、真夜中だというのに ひとりの男が床に座ったまま佇ずむ。 部屋の中にはちゃぶ台がひとつだけ 置かれていて、ワンルームの狭い部屋には ピッタリだと思われた。 家財道具はひとつも無いのだが、 奥に勿津晴人からプレゼントされた、 不釣合いな縦型ピアノが設置されている。 男は高光徹(たかみつとおる)と言い、 売れない音楽家だ。 そして、ちゃぶ台の上には100枚程の 楽譜が積まれてある。 男の職業はゴーストライター、作曲した 作品を勿津晴人に売却する。 生活の糧になっているのだから仕方ない、 そう言い聞かせている自分が虚しい。 曲が認められるのは素直に嬉しい、 だが作品が賛美されればされる程、 名声は勿津ばかりが。 晴人の作品と言えばもてはやされる。 しかし、高光の作品と売り出しても、 見向きもされない。 「いうなれば勿津は僕のパトロン、 彼のカリスマ性には敵わない」 彼にあって僕には無い物、それは才能 よりも芸術家としてのオーラだ。 彼には華がある、高級スポーツカーを 華麗に乗りこなしながらも、甘いルックス が不特定多数の人々を魅了する。 誰が観ても嫌味など無い爽やかな青年、 ポルシェとヨットクルーザーを所有する 若き英雄。 まさに、跳ね馬に乗ったナポレオン。 それに比べ自分はどうだ、なんと ブザマであろうか。 ほとんど、同い年なのに・・・ 飲まず食わずで描いた貧乏人の曲を、 誰が購入するだろうか。 大学の先輩は、左手に楽譜を 右手に ペンを持ったまま、自宅の部屋の中で 孤独死を遂げていたのである。 死因は餓死だった。
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