12章 主従の契約(後編)

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二階の廊下を歩き、モーリスは一つの扉の前で立ち止まった。 “お前の言葉は娘には届かない──…お前はもう死せる者” 「……っ…」 ノブに手を掛けようとした途端、グレイの言葉が脳裏を駈けた。 モーリスは顔を歪めて悲しみに打ちひしがれたように頭を振る── 嗚咽の漏れかけた口を強く結ぶと意を決したように扉を勢い良く開いた。 暗い部屋をゆっくりと見回す。 まるで何事もなかったように静まりかえり、辺りは密やかな闇に包まれている。 モーリスはイザベラが眠るベットにゆっくりと歩み寄った── ベットの脇には割れた大きな姿見。モーリスはその鏡にそっと触れた── モーリスは震える瞼を閉じていた。 若き頃の妻が使っていた形見のそれは、お洒落に気遣い始めたイザベラが着飾ったワンピースを着てくるくると回る姿を思い出させる。 モーリスは目頭に強く力を入れた。 一瞬込み上げた思い、それを堪えて鼻をすする。 目の前には愛しい娘、イザベラが幸せそうに眠っていた。 「イザベラっ…」 シーツから出ていた小さな手をそっと握り締め額に当てる。 あまり一緒に居てやれなかった そしてもう二度と言葉を交わすことはない──
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