第一章  晴臣の妻

6/8
前へ
/22ページ
次へ
 晴臣の部下と秘書は、もう諦めていた。  仕事が終わるなり帰ってしまう。引き止めると、途轍もなく機嫌が悪くなる。  彼等の間では“恋する風林火山”と呼んでいた。  優しいのは妻にだけ。冷酷さも非情さも、何も変わらない。  妻の事になると、手が付けられ無い程嫉妬深く、独占欲に塗れている。  でも妻に撫でられただけで、ライオンが猫になる。狼が、チワワになる。  信じられ無い位、妻に弱い。  続編が出版されて、大変な評判を呼んでいる。でもサイン会が出来ない。晴臣が邸から出してくれない。これもみんな夏彦のせいだと思うと、もう一発殴っておけば良かったと後悔した。  出版社から新刊として出したいと連絡を受け、打ち合わせに出掛けた日の事だった。  どうやって知っていたのか、編集者の横に夏彦が居て、面白そうな顔で私を見ているから何だろうと思った。  「俺に、帯の賛辞を書いて欲しいらしい。どうする、Eカップ」  相変わらず無礼な奴だと思ったから、断ってやるつもりで口を切ろうとした時、横から編集長が余計な口出しをした。  「是非、お願いします」  「決まりだな、Eカップ」  夏彦が楽しそうに、含み笑いまで漏らしている。不安だった。  麻紀の姿を探したのに、その辺に居ないから何処に居るのかと思っていると、また楽しそうに夏彦が言った。  「俺の次回作の参考資料を集めに、伊豆へ行って貰った。三日程、留守だ」  本当に嬉しそうに笑った。  此奴が企んでやった事だ、と解る。  何を遣る気かと思って警戒していたら、編集長が今夜は夏彦先生のご招待で、編集部は全員でお食事会だと告げている。  おまけに「室町桜子先生も同席されます」なんて言っている。  これは困ったと思った。晴臣はとても嫉妬深い。  彼が帰った時、直ぐに出迎え無いと途轍もなく扱いにくくなり、好きに抱かせてあやしてやり、思う存分愛の言葉で埋めてやらなければならなくなる。  放置すると、子供の様に駄々を捏ねる。  それでも時々、翌日になって部下と秘書から悲鳴の電話が入り、会社の晴臣を呼び出して愛情攻撃を掛ける手間が必要になる。  一言で言うと、とても面倒くさい。  そしてお食事会は夜で夏彦まで同席するとあっては、まず一週間は許して貰えない。  何とか逃げようとしているのを察知して、夏彦が傍に貼り付けている。凄く拙い。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

94人が本棚に入れています
本棚に追加