061~080

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061~080

061【アメリカシロヒトリ】  チョウ目 ヒトリガ科  わあ、と彼女が豪快に叫ぶ。足元にはモノトーンの毛虫がうごめいていた。 「暖かいと思ったら、もうこいつの季節か」 「踏むところだった。毎年見るけど、これ何?」 「アメリカ生まれの蛾の幼虫。アメリカシロヒトリ」 「アメリカひろし?」 「……誰だよその売れない芸人みたいな奴」 ◆◆◆ 062【食べません】  彼の部屋には小型ながら冷蔵庫がある。 「何入ってるの?」 「見たら引くよ」  そう言って渋々開けてくれた中には、案の定飼育ケースや保存容器が並んでいた。 「食べないよね?」 「観察とか標本作りに使うんだ。居間のに入れたら怒られて」  ご家族も大変なんだな、と私は苦笑いした。 ◆◆◆ 063【三段階】  寝ても覚めても虫が好き、そんな彼が虫の話をしない時は、酷く落ち込んでいるときだ。 「……餌、やらなきゃ」  飼っている虫のことを思い出すようなら、浮上してきた証。 「君がいてくれてほんとに良かった。……駄目な俺でごめん」  私のことも気にかけてくれるなら、多分もう大丈夫。 ◆◆◆ 064【天然スイーツ】  春限定のスイーツがあると連れられてきたのは、ケーキ屋でも喫茶店でもなかった。 「俺の春の定番なんだ」  薦められるがままに、一さじ舐める。口の中に優しい甘さとともに広がるのは、花の香り。 「桜だ!」 「桜の蜜の蜂蜜だからね」  彼も一口。その至福の笑顔もまた、春ならでは。 ◆◆◆ 065【クロオオアリ】  ハチ目 アリ科  窓を叩く雨音に、俺はつい顔を歪めた。 「雨は嫌だな」 「何で?」 「昔、アリの巣が水没しないか心配で見に行って、俺の方が水没しかけたことがある」 「その頃から虫好きだったんだ」  思い出した。結局、雨の日の巣の様子は見届けられなかったのだ。 「ちょっと外に――」 「やめて!」 ◆◆◆ 066【コシボソヤンマ】  トンボ目 ヤンマ科 「このウエストの細さ、腹が立つ」  彼女が眺めているのはファッション誌ではなく、なぜかトンボ図鑑だ。 「コシボソヤンマの細さは特殊なんだから、君と比べない。……太ってないと思うけどな」 「服の下はすごいことになってるの」  見せて貰ったことないし、と言ったら頬をつねられた。 ◆◆◆ 067【ヘイケボタル……かな?】  コウチュウ目 ホタル科 「蛍見たいな」  虫好きの彼への、この上ない誘い文句ではないだろうか。初めての夜のデートを仕掛け、私の心は躍る。 「いいね。……で、どっち?」 「何が?」 「蛍狩りの対象だよ。ヘイケボタルとゲンジボタルの二種類がいるんだ」  この問いさえクリアすれば、と私は自分を叱咤する。 ◆◆◆ 068【ヘイケボタルだよ】  コウチュウ目 ホタル科  彼女の希望で蛍狩りにやってきた。 「わあ、素敵」  光の群舞に歓声があがり、繋いだ手に力がこめられる。どうやら、満足してもらえたようだ――そう思って彼女を盗み見ると、夜闇に浮かぶ顔は俺に向いていた。 「ちゃんとホタル見てる?」 「見てる」  彼女は俺から目を逸らさずに答えた。 ◆◆◆ 069【ナミアゲハ】  チョウ目 アゲハチョウ科  すっきりと揃えた黒髪が、白いうなじと夏服によく映えている。 「君もいよいよ夏型だね」 「『君も』って?」 「チョウの仲間は、出てくる時期によって模様が違うのがいるんだよ」 「虫も衣替えするんだね」  夏のナミアゲハに似た鮮やかな黒と白が、俺の目を奪う。夏はもう、すぐそこ。 ◆◆◆ 070【セグロアシナガバチ】  ハチ目 スズメバチ科 「駆除終了。アシナガバチだった」  殺虫剤を手に、ベランダから彼が現れた。 「刺されてない?」 「平気だよ。巣が小さいうちなら退治も楽――」  急に黙り込み、目が泳ぐ。 「どうしたの?」 「ここが君の部屋だって、今思い出した」  彼は顔を赤くして、再びベランダへと戻ってしまった。 ◆◆◆ 071【ヤマトタマムシ】  コウチュウ目 タマムシ科  彼と日本史の勉強会、ときどき虫。 「玉虫厨子(たまむしのずし)は、ヤマトタマムシの羽で作られてるんだよ」 「何でタマムシなの?」 「タマムシの羽は半永久的に変色しないんだ。昔の人も知ってたのかな」  死してなお褪せない存在なんて、私には想像もつかない。 「虫ってすごいのかも」 「だろ?」 ◆◆◆ 072【ミンミンゼミ】  カメムシ目 セミ科  うだるような熱気に、彼女は汗を拭きながら言う。 「暑いのはともかく、セミの声が許せない」 「許す許さないの問題?」 「暑さが倍増するから嫌い」 「じゃあ今日の体感温度は70度か」  彼女は早足で俺を置いていく。  俺はといえば、彼女のハンカチの可愛らしさに感動したりしていた。 ◆◆◆ 073【バナナ黒糖トラップ】  不機嫌な彼。原因は親子喧嘩らしい。 「朝から怒られてさ。焼酎を少し貰っただけなのに」  真面目な彼だけに、私は目を丸くする。 「呑んだの?」 「黒糖と混ぜてバナナを漬け込んで――」 「……虫の餌ね」  飲酒ではなくて私はほっとしたけれど、お父さんは怒っただろうな――と思った。 ◆◆◆ 074【ジガバチ】  ハチ目 ジガバチ科  太陽が俺を容赦なく焼く。女子は着替えに時間がかかるというのは、どうも本当らしい。 「お待たせ」  振り向くと水着姿の彼女。ジガバチのようにくびれた腰が、実にけしからん――いや、見とれている場合じゃない。昨日、呆れるほど練習してきた台詞を披露するんだ。 「に、似合うよ!」 ◆◆◆ 075【虫の音】  夕闇が降りてくると、窓からは熱気と入れ替わりに心地よい風が入ってきた。虫の声で、残りの夏がわずかだと気付かされる。人恋しい季節の足音が近づいてきているのだ。  ――と、そこで携帯が鳴る。彼女からだ。 「何だか寂しくて電話してみたの」 「俺もちょうどかけようと思ってた」 ◆◆◆ 076【蜻蛉玉】  家族旅行のお土産、と彼がくれたのはストラップ。少しいびつなトンボ玉は、彼が好きな青みがかった緑色だ。 「もしかして手作り?」 「やっぱ分かる?」  彼は照れ臭そうに頭を掻く。  トンボ大好き、特にオニヤンマが大好き、そしてオニヤンマの眼鏡の色が大好き。証拠は揃っているのに。 ◆◆◆ 077【ヒメウラナミジャノメ】  チョウ目 タテハチョウ科 「あれ、蛾?」  彼女が示す先には、跳ねるように飛ぶ茶色い影。 「いや、蝶」  だって茶色いよ、と首を傾げる彼女。 「茶色い蝶も、綺麗な蛾もいるよ。チョウとガは触角の形が違うことが多いから、捕まえれば分かるさ」 「あ、人も捕まえてみないと分からないときってあるよね」 「……俺のことか?」 ◆◆◆ 078【ヒトスジシマカ】  ハエ目 カ科 「腕、大丈夫?」  彼女は俺の腕をさすってそう言った。  蚊に刺されて無残な凹凸を晒す腕。平気だというアピールをしばし考えた後、俺は口を開いた。 「代謝がいいと刺されやすいって言うし、俺が若くて元気な証拠かなって」 「……全然刺されてなくてすいませんねえ」 「怒るところ?」 ◆◆◆ 079【身長差ゼロ】  今日はなぜか目線が彼女と一緒だ。 「背、伸びたのか?」 「いつもの靴よりヒールが高いの」  その3cmが、俺にとっていかに重要なことか。動揺のあまり思わず口走る。 「オ、オスが小さくて小回りが利くほうが、子孫を残すには有利なんだぞ!」 「……今度からはぺたんこ靴にするね」 ◆◆◆ 080【ノシメトンボ】  トンボ目 トンボ科  彼女の隣で見上げると、二頭連なったトンボの群れ。赤い身体が澄んだ秋空に鮮やかだ。  無言で手を差し出すと、彼女はからかうように言った。 「珍しい。いつもは嫌がるのに」 「たまにはいいかなと思ったんだ」  少し間があって握り返してくれる、俺より小さな手。 「いつもでもいいよ」
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