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その日学校の雰囲気はどこか浮足立っているようで、そわそわしているようで。
それはぼくもそうだった。
「なあ」
不意に背後から僕に声がかけられた。
「なんだ、お前か」
「ああ、でおまえ、その、下駄箱どうだった?」
「......いや、無かった」
「おまえは?」
「――いや」
「そっか、わりぃ。まあ、まだ今日は始まったばっかだし、俺らは大丈夫だって」
そう、俺も、こいつも大丈夫。この日の為にさんざん布石を打って来た。
校内では何度も大声でカカオの原産地について、その生産体制や、カカオに適した環境や風土についてわざとらしく吹聴し、あまいモノが好きであることを周囲に意識させていた。
隙があれば会話の節々に”チョコ”を忍ばせた。
『チョコっとトイレ行ってくるわ!』
『勉強ってのはさ、毎日の積み重ね。チョコチョコやるのがいいんだよ』
サブリミナルみたいなもんだ。大丈夫ぬかりはない。
僕は自分になんどもそう言い聞かせながら教室に向かう。
教室をガラッっと開けた瞬間、周囲の目線が一斉に集中。
ある者は安堵に、ある者は失意に、落胆にその顔色を染める。
当然だ。他のクラスや上級生、下級生からの呼び出しだってあり得る。
ここで下級生女子から、あの○○先輩いますかぁ? なんて呼ばれちゃった日には明日からそいつはクラスのヒーロー、男のカリスマ、学年の英雄の座を手に入れるに等しい。
そう、今日はバレンタインデー。男の器が試される日であった。
僕は席に向かう。いつも通りを装ってはいるが、内心そうではない。
吐きそうだ。視界が明滅し、呼吸が乱れるのを必死にこらえて一歩一歩席に近づく。
そう、下駄箱がアウトだった以上、次に可能性が高いのがここ。
自分の席。その引き出し。
僕は席に着き、軽くせき込むふりをしながら引き出しの中に手を忍ばせる。
あるべきものをまさぐる、まさぐる、まさぐると刹那――硬く、四角いものに手か触れた――
瞬間、全身の筋肉がまるで誤ってヤカンに触れてしまったときの等に伸縮。
ガタッ! と大きな音を立てて机を前に押し出し、椅子は後方の席の机にまで引かれ、僕はその場に立っていた。
僕の手には、昨日置き忘れた四角い筆箱が強く、とても強く握られていた――
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