父の男

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 貯水槽を掲げるコンクリートの壁に凭れ、ブレザーの懐に突っ込んである携帯電話を出す。胸を上下させながら、留守録再生を選んだ。  蛍、と男が呼んでくる。 「蛍、もう寝たか? 今夜も帰れそうにない。本当にすまん。……お前、ちゃんと、部屋に帰っているか? 飯、食べてるよな? あと、風呂。それから、睡眠も。このヤマが終わったら、少しは落ち着くはずだから、そしたら二人でどこかへ行こう。……蛍、俺は。……愛している。俺はお前を、愛している。だから」  メッセージはいつもそこで途切れる。  二十秒しか録音できないからだ。  震える指で操作をし、もう一度、録音されたメッセージを再生する。 「蛍、もう寝たか? 今夜は帰れそうにない。本当にすまない。ちゃんと、部屋に帰って……」  九歳の秋に渡された携帯電話を、電池パックの交換までして使っている。 「……蛍、俺は。……愛している」  その言葉は、当時、今よりも精神的に不安定だったガキのために、大の大人が懸命に考えた処方箋。 「俺はお前を、愛している。だから」  だから、なんだよ。だから、何をどうしたいんだよ?   だいたい、誰を愛しているって?   誰を愛したから、あんたは結婚もしないで、一人で子どもという面倒事を、背負い込んだんだって?   仕事と子育てに追い立てられて、もう三十五のおっさんだ。俺のために?   んな、馬鹿なことあるわけがないよな。あんたはまだ恋から覚めてないんだ。捨てられたくせに、まだ、親父を愛してんだろ!  ケホケホッと咳き込み、深呼吸をする。視線の先に、白い建物が映る。昭弘がいる警察署。  息ができず、前かがみになって咳き込んだ。唾液が床へと垂れる。 「ゲホッ! ゲッ!」  おさまらない。  まずい。  胸を押さえた拍子に、携帯電話を落とした。  知らず、手を伸ばす。  もうちょっとで触れることができたそれを、誰かが踏みつけた。
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