父の男

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 午後六時。  スーパーは夕食の材料を買いに来た奥様連中で溢れ返っていた。  蛍は鈍痛の残る体で買い物カゴを手に、野菜売り場を歩いた。  屋上で不良に絡まれて気絶し、起きたならば全身に痣や擦り傷ができていて、特に、顔は青痣に加えて唇が腫れ上がっていた。  ピーマンやじゃがいもやらの品質を見なければいけない奥様方が、こちらの惨劇を無粋なまでに、じろじろと見ては避けていく。  今日は汁があまり出ない料理がいい。カレーにするつもりだったのだが、断念せざるを得まい。  もやしと個数売りの玉葱をカゴに入れ、焼きそばの麺を二袋引っ掴み、豚肉の細切れを吟味する。  すぐ傍に、五歳くらいの少年が駆けてきて、パック詰めされた肉を、指でぷにぷにと押し始めた。 ラップが指圧の跡を残す。  周囲を見回すが、親らしき人間はいない。  止めるべきか? いや、この手のガキの親はモンスターペアレントっぽい気がする。でも肉が。国産牛がっ! 「痛い。あいたたっ! いたっ!」  後ろから男の声がした。  聞き覚えがあり過ぎて、蛍は生唾を飲み込んだ。  少年が振り向くと、桜井昭弘は彼の隣に並び、その頭に手を置いた。 「肉が痛がるから、やっちゃあ駄目だよ」  スーツ姿で目の下にクマがある昭弘を、少年はきょとんとした表情で見ていたが、最後まで何も言わずに去っていった。 「ガキっぽいこと、してんじゃねえよ。てか、なんでいんだよ」 「もしかしたら、バッタリお前と会うかと思ってな。人生にはサプライズが必要だろ? それに、物事っていうのは、ふざけて学ぶくらいが丁度いいんだ」  昭弘は童顔でもないのに、年齢よりかなり若く見える。背も、そう違わないから、初対面の人には親ではなく、兄弟だとよく間違えられる始末だ。  歳の離れたお兄さん。
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