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女の子が少年のことを強く意識したことをつないだ手から感じとったお母さんは、その少年の奏でるリズムの世界と考える世界とが、完全なまでに遮断されていることに、彼には明日が待っていることを、自分の娘に笑顔で伝えた。女の子のお母さんは、その時の我が子の眼差しが喜びの輝きに包まれているのを優しく見守っていた。
「それが総てよ」
お母さんに言われた女の子は、少年に手を振ってお母さんと歩をあわせては、黄金の太陽が輝きを増す光のなか、「水の街へと繋がる道」のさきへと進んでいった。それを送る少年は、自分の脳裏からふたりの残影を消したけれど、いつまでも、きっとふりむかない、という意志を残した女の子の言葉だけは、デジャ・ヴとボクとの思い出の小さな箱のうちに、しっかりと畳まれた。見上げると、少年の表情の深いところまで、彼にお似合の柔らかな明るさが宿っていたことに、ボクらはほっとさせられた。
「あの少年、間接話法を生きているのよ」
デジャ・ヴが囁くようにそう加えた。
「理念やイデオロギーという、いまこの惑星を支配しているもので生きている訳じゃないってこと? 疑問と不安という、内なるカオスに落とされつつも、それに正面から向き合う人間にだけに与えられている、そんな大きな物語を彼はドラムと共に歩いているんだ」
「でも、そんなことに価値を見出して、評価するひとも少ないけれどね」
「素晴らしいことだよ、そういう生き方って。誰でもが望んだところで出来ることじゃない。なにもきっぱりと、勇ましい言葉を吐ける人間だけに、人間としての高い価値が与えられているのでもない」
少年のリズムには、彼だけが持っているコミュニケーションが現されていた。その間も少年のリズムは彼の間接話法を刻んでいる。そこに世界があるのだ。その限り、彼はほんものの人間らしい表情を持つのだ。だからリズムを聞いている通りがかりの誰もが、彼と同じ人物と成り得た。そして無言のままだったけれど、彼への賛歌を誰もがこころから送っていた。それが彼のほんとうの幸せなのかは、それは彼の判断なのだけれど、彼はそのことをいまは判断しない。
「少年は、自分の生き方を知ったら、不幸になるのかな?」
ボクは訊いておきたい気持ちを押し殺せなかった。
「知って台無しになってしまうような彼なのかしら?」
デジャ・ヴはそう意見をした。
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