六章

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 ジョスリーヌが出ていくのを、ワレスは見ていなかった。  そう。いつものワレスなら、ティアラはさけるタイプだ。あれは遊び向きの女じゃない。  金銭の問題だけなら、ほかに遊べる相手は、いくらでもいた。ジョスリーヌからの手当てだけでも充分だ。  でも、きっと、ジョスリーヌとは長くつきあいすぎたのだろう。  彼女がワレスのことを、なんでも知ってるそぶりをすると、イライラした。ことに、ちょっと前に、ワレスが犯したある愚行を、彼女が知っていると思うと。  束縛されたくない。  誰とも深入りしたくない。  ジョスリーヌをさけて、何人もの女のあいだを転々とした。  ティアラと出会ったのは、ちょうど、そんなときだったのだ。  いつもと同じつもりだったのに、何かが違う。  ティアラといると、遠い昔にワレスの失ったものが、ふとよぎる。  たとえば、夕暮れの空のもと、手をつないで歩いた母の笑顔。  船旅で出会った初恋の少女。  何年も前、ケンカ別れした、妹のように可愛がっていた女の子。  つい最近、ワレスを見すてて、遠い外国に行ってしまった友人……。  思いだせば、つらいだけの記憶。  もう、たくさんだ。何も考えたくない。  ティアラに会うことが怖い。  ティアラはワレスが、あえて心の奥に封じこめている扉をたたこうとする。  その扉のなかには、多くの死体が隠されていた。  ワレスは二度と、この扉をあけたくない。みだりに、たたいてほしくない。  だから、ほんとは昨夜、ティアラと約束があったのだが、ワレスはすっぽかした。 「……ワレス」  ふたたび、女の声がした。ジョスリーヌではない。ティアラだ。 「どうして、昨日、来てくれなかったの?」  ワレスは答えない。  庭の花を見ながら、背中に痛いほど、ティアラの視線を感じる。  ティアラも寝乱れたベッドには気づいているだろう。  ジョスリーヌが帰るところも見ているはずだ。 「あの人は?」 「べつに」 「どうして、この部屋から出ていったの?」 「ただの友だちだ」  ふいに、ティアラの声が泣き声に変わった。
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