六章

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 思わず、ワレスは怒鳴りつける。 「泣くな!」  ティアラはその場に泣きくずれた。  それを見て、なおさら、カッとなる。  なぜ、そんなふうになったのか、自分でもわからない。自分でもわからないことが、いっそう、ワレスをいらだたせる。 「泣くな。うっとうしい……」  しばらく、ティアラは泣き続けていた。  ワレスはそれをイライラしながら見つめていた。 (ちょうどいい。潮時だ。いつものように言えばいい。あなたと彼女を二股かけていたんです。おイヤなら別れますか? そう言えば)  だが、言えなかった。  ただ、むしょうに腹が立って、泣いている女をなぐりつけたいような……いや、違う。  なぐりたいのは自分だろうか?  わからない。  ただティアラの泣き声が神経にさわる。  そうやって、心の扉をたたくのはやめてくれ。 「ただの女友だちだと言ってるだろう? 信じられないのか?」  おれはマヌケな亭主みたいなことを言ってる。浮気を見つかった亭主みたいな……。  ティアラは顔をあげた。  ゆっくりと、こう言った。 「わたくしといっしょに逃げて。ワレス」  なぜ、とつぜん、ティアラがそんなことを言いだしたのか、ワレスには理解できなかった。 「なんだって?」 「わたし、今朝。ギルバートと言い争ってきたわ。もう帰らないつもり。わたくしと逃げて」  何を言ってるんだ? この女……。      「わたし、あなたのためにジャムを作るわ。あなたのためにスープを作り、服を縫って、洗濯するわ。そうじをして、歌をうたって。あなたといっしょに暮らしたいの」  一瞬、それもいいと思う自分がいて、ワレスは困惑した。  どこかの田舎に小さな家を持ち、ティアラと暮らす。  ワレスは稼ぎは少ないが、誰にでも胸をはって言えるの職につく。この年で商人に奉公するのはムリがある。さしずめ、私塾の講師というところか。なまいきな悪たれに手を焼いて帰れば、ティアラが夕食を作って待っている。  ——ごめんなさい。あなた。今夜は残り物しかなくて。だって、お給料日前は家計が苦しいんですもの。  ——いや。君はよくやってくれてるよ。貴族の君にこんな苦労をさせて、すまない。おれみたいな甲斐性なしに、ひっかかったばっかりに。  ——ワレス。わたくしは幸せよ。あなたといられるだけで……。  とめどなく妄想がわきだして、ワレスは自分の正気を疑った。
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