講演 ー変わりゆく世界ー

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 まず登場したのは遺伝子の模型だ。二本の鎖を合わせて螺旋状にしたような形をしている。アデニン、チミン、シトシン、グアニンの頭文字をとったA、T、C、Gと記される塩基配列がその鎖の正体だ。  それらは様々な酵素により修飾を受け、最終的にタンパクへと変換される。その生み出されたタンパクが細胞を構成する成分となり、体で起こる様々な反応に関わっていくのだ。  つまり遺伝子とは、生きていくのに必要なタンパクを作る代物でしかない。  この事実が解明された当時、生命の神秘を信じる医学生はこの事実を受けいれられず、自殺したと記されている。それほどまでに、この事実は受け入れがたかった。  人間が今まで繋いできた命のバトンは、タンパクの元となる遺伝子を保存していく、無機質な過程でしかなかったのだから。 「しかしながら、この遺伝子の営みは様々な要因により破綻していきます。太陽からの放射線、ウイルスの感染、そして日々起こり得る遺伝子複製のエラー。数えれば切りがありません。そしてこれらは結果として我々の最大の敵である、あの病気を呼び寄せます。そうそれは、癌です」  会場中が不穏な空気に包まれる。  至るところで咳払いや、首をすくめる姿が見受けられる。  なぜだろう、この癌という名前は、いまだに特別な意味を持って響く。以前より啓蒙が進み、癌に対する正しい理解や知識は普及しているはずなのに、その二文字は今でも人々に暗い影を落とす。  愛する家族や恋人を容易く、残酷な形で失わせるこの病気の悲惨さが、大衆に畏怖の念を抱かせるのだろうか。  そこで依楓は両手を掲げ、スポットライトを見上げる。人類の過ぎ去った犠牲を一身に背負い、心から憂いているようだった。
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