講演 ー変わりゆく世界ー

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「賢い皆様は、切り取った遺伝子の空白はどうするのかが気になるでしょうが、ご安心ください。その後はDNAポリメラーゼという酵素がその空白を埋めてしまいます。えっ、もっと詳しく知りたいですか。そんなあなたには、こちら」  そこで依楓は教壇の下から、予め用意していた一冊の本を取り出し、聖書を掲げる信徒よろしく高く掲げる。 「この本は、私と後ろでパソコンを操作している斗真(とうま)先生と一緒に著した『遺伝子ってなあに、入門編』という本です。今日の帰りにでも本屋さんに寄ってご購入いただければ、皆様も遺伝子について賢くなり、さらには私たちの懐も潤うという、一石二鳥でございます」  会場から暖かみのある笑みがこぼれる。依楓のテレビ通販のような喋り方が、聴衆にはうけているようだった。依楓は締めの言葉の前に会場全体を見渡して笑顔を振りまく。  その笑顔は、運命は我が手中にあると尊厳と自信で満ちていた。 「癌に、我々は遂に勝利します。患者さんの体に負担が大きい外科手術のような治療も、放射線のように副作用覚悟の治療も必要ありません。ただ、この薬を飲むだけ。それで癌が治る時代がもう間近に迫っています。皆様、長生きしてください。そうすれば世界が変わる瞬間を皆様にお見せできることでしょう。ご清聴、ありがとうございました」  会場中の人々がスタンディングオベーションで俺達に喝采を注ぐ。その無数の手には、幾重もの皺が刻まれていた。
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