終章

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「プリセット。ボクの服を出しておくれ」 箱に話し、鎖が伝え、手錠が応えて。数秒、手錠から霧のようなものが噴射され、その粒子がアドラーの身体を包んだ。 粒子は形を取り、無色の霧は黒く繊維質へと変化し、アドラーへ黒いロングコートとして出力される。靴もズボンもシャツも、ぴったりとサイズの合った様子で収まり、残った霧は手錠へひとりでに戻った。 「うん、OKだ。この服でも、こっちじゃそんなに違和感ないみたいだし、文明としてのレベルは我々と遜色ないんじゃない?」 『馬鹿を言うな。文化文明という意味で、我々は彼等の遥か後方に位置している。有史に於ける中世、近世に近しい建築や生活様式だとて、社会上の性質を見るにそちらの世界はかなり柔軟だ。性差、種族差、一見した力の不均衡が“魔法”によって堅固なバランスを得ている。力というのも使いよう、というわけだな』 「でもそれらは手に入らないね。ボクらの世界とは何もかも違うのだから」 「──なら壊せばいい」 頭上からの声だった。辺りは、人影はおろか街の灯りすらない草原。動物はともかく、人間は確実に居ない、そういう場所を選んで墜落した。 ──その人影は白い燕尾服をはためかせて、歪な残骸の上に立つ。場違いにも程がある装い、今から貴人との逢瀬だと言われても疑いはしないけれど、人の住み処は地平線の遥か彼方だ。 アドラーはその様子に驚きもせず、自分を背に佇む白燕尾を見上げる。 「こういうのって反則技なんじゃないです? 出迎えの準備も無いんですよ、執政長殿?」 「必要ない。これは単なる遊びで、あるいは叱咤激励だ」 淡々と語る、その口振りには感情の一切が現れない。遊びと嘯いているくせに、声色は機械のそれより無機質だ。 「行けるな?」 「ええ、まぁ。出来ますよ……でも気が乗らないな~~もっと優しく世界征服しましょうよ~~? みんなで仲良く手を取り合って、キャッキャうふふっ、みたいな?」 「心にも無いことを言うな。だれより破滅を望んでいるくせに」 「……うふふ♪ ええ、まぁ」 アドラーは翻って、無機質な男へ向け万感を込めるように笑う。戯れのように、当て付けのように。 あるいは、親愛を込めて。必要な確認はそれだけだ。 ──互いに、世界が燃え尽きるのを望んでいる。お互いにしかわからない、再確認の有り様。 『では出撃、ということでよろしいですね? 執政長殿』 「任す。何もかも殺してこい」 「そこまで物騒じゃあいけないですよ……でも昔から、良く言うでしょう? ──世界はボクらの手の中、ってさ?」 アドラーの言葉と共に、目の前の何もかもが無くなった。白燕尾の男も、電子音声の老翁も、今しがた自分が収まっていた残骸も。 吹き渡る、涼やかな夜風が青臭い。ここに故郷のにおいは感じない。ありありとした生命、そこかしこに見える豊かさを感じるだけ。 彼方、未だ戦火に燻る『グレートブリテン』は夜明けだろうか。ここにまだ、その恩恵は届かない。 アドラーは静かに踵を返す。録に舗装も無い、人と物が行き交うだけで作り上げた畦道で、真新しいブーツを鳴らす。 人の街へ向けて。そこにある、何もかもを手に入れる為。 これが、はじまり。分かりやすく、いまはこうとだけ言ってしまおう。 ──これはボクが、悪魔と呼ばれる為の物語だ。
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