幸せな恋は宝箱と共に

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よく、わからない関係。その友人にしては近すぎて、ファンというにはふさわしくない関係をズルズルと続けてしまった。 そして私はもう30も手前である。周りの友人たちも次々と結婚していき、親からもせっつかれる。焦りがジリジリと募っていた。 婚約者はいない。恋人はいない。でもずっと好きな人がいる。 なんて、ひどい冗談だろう。30目前の女にはあまりにきつい。学生であれば微笑ましいと言えただろうに。学生のころに抱えた思いをそのままに、私は大人になってしまった。画家だってもう私のことを嬢ちゃんだなんて呼んだりしない。 どうしたらいいのか、わからない。 何度から色仕掛けのようなことをしたこともあった。少しでも意識してくれれば、と。夏、露出の多い格好をしてみた。ちゃんと服を着ろ、と上着を掛けられた。風呂上り、薄着で抱き付いてみた。濡れるからやめろと乾かされしっかりと着こまされる始末。要するに、全く脈がない。まるで女として見られていないのだ。 もし少しでも手ごたえがあったなら、付き合えるかもしれないと希望をもって積極的にもなれただろう。だがまるでないというと、欠片の希望すら持てない。希望は持てないけれど、今の関係を壊して出て行くこともできない。はっきりした関係でなくとも、居心地がいいのは確かだった。気は合う、好みもあう、話をするのも楽しい。何も問題はない。もし画家が誰かと結婚するというなれば、自然、ある意味万円にこの関係は終了するが、その様子は見られない。女の影がないわけではないが、どう見ても遊びだと断言できる。 今の曖昧な関係を壊すのは簡単だ。私が画家の家に来なければいい。 画家は私の家に来たことがない。本来なら会うはずがない生活だ。私が画家の家を訪れなくなれば、自然消滅していくだろう。 だから、もし転機があればいつでも。 そう思い続けていた。 「ハル、」 それでも、彼に名前を呼ばれると、私はこの曖昧の関係のままで良いと思えてしまうのだ。 何年も寝かせたままの恋心は、今も少女のように簡単に胸をいっぱいにする。 関係を壊すことでそれを失うことになれば、私はたぶん私ではなくなる。それが良いことなのか、悪いことなのか、私にはまだわからない。
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