第一章

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チキッ・・ 音を伴わぬ微細な振動が、ベルトを通して手首に伝わる。 探偵七つ道具。 テレビや小説ではさもとっておきの必殺アイテムのように扱われるが、実際はそんな華やかなものではない。 せいぜい《便利な小道具》といった位置付けではあるが、こういう状況で真価を発揮するものもある。 小さな刃の飛び出した腕時計。 殺傷能力など無いに等しいが、相手が縄であれば話は別だ。 依然無言のまま、事務所内を徘徊している不審者に気付かれぬよう態勢を整える。 私の意図に気付いたのか、さりげなく体を割り込ませ、死角を作り出してくれた彩乃くんの背に手首を隠しつつ、私は小刻みに腕を動かし始めた。 ザリッ・・ザリッ・・ なるべく音を立てぬように、不自然に見えぬように繊維を一本ずつ切断していく。 犯人の拳銃を持つ腕がゆらりと動く度、ビクッと体を強張らせる彩乃くんには申し訳ないと思いながらも、私は全神経を指先に集中させる。 後ろ手での作業のため、目で進捗状況は確認できないが、プツリプツリと戒めが解けていくのを感じる。 恐らくあと数回刃を行き来させれば完全に縄を断ち切る事が出来るだろう。 だが、ここで注意せねばならないポイントが一つ。 縄が一気にバラリと解けてしまえば、起死回生の布石が犯人に丸わかりになってしまう。 隙を見て犯人を確保し、そして可及的速やかにトイレットに駆け込む為にも(ここ重要)、縄がまだ切れていないように装う必要があった。 左右に勢いよく弾けそうになる力を宥めつつ、慎重に慎重を期して刃を進めていく。 プッ・・プツッ・・ 細かな振動と共に徐々に弱まりゆく結合。 すぐ傍にいる彩乃くんの心臓の鼓動すら伝わってきそうな静寂の中、遂に刃が捉えていた感触が全て失われた。 「・・・ッ!!!」 手の中を真逆の方向へすり抜けようとする力を辛うじて押しとどめると同時に、犯人の動向を窺う。 固唾を飲んで一挙手一投足に注意を払ったが、幸い気づかれた様子はない。 その事にほっと胸をなで下ろした私だったが・・ この安堵が命取りだった。
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