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八幡山の頂上には、瑞龍寺という寺社があった。寺社の境内には、桜の立木がいくつかあって、花びらが地面に降り注いでいた。社の前で、昇平は浄財を投げて、今日の出逢いが意味深いものに成りますようにと、お祈りを捧げた。それを横から見た恵子は、昇平に見倣うように、お祈りしていた。
「何祈ったの?」
何気なく昇平は訊いた。
「え?……何も考えてへんかった」
恵子は、曖昧に作り笑いを浮べるだけだった。そこで、昇平は励ますように力強く言った。
「それは、とても禅的な姿勢だね」
恵子は、怪訝そうに訊き返した。
「え、なんや? 禅的て?」
昇平は、優しく説明した。
「うん、僕は趣味で座禅を少しやるんだけど、座禅をする人は座禅になりきる、他に何も考えない。兀座というのだけどね」
「なんや、わからんな」
「わからないことはないさ、今できていたんだから。座禅は仏印と言って、正しい人間のありようなんだ。生活の中でいつでも、座禅をするのと同じようにその行動になりきって、いわば兀動していたら、その人は悟りに近いと言えるだろうな」
「うちはただ、こころが塞いどったんや」
恵子が寂しそうに呟いたので、昇平は努めて明るく言った。
「でも、祈るさくら、綺麗だったよ」
「そうか?」
「うん」
「うちは猿やないで」
強気の言葉とは裏腹に、弱々しく笑った彼女は、本当に辛そうだった。
寺社を一通り見回った後、八幡山の散策道を歩いて、展望場の方に行った。展望場からは、海のように広がる琵琶湖が望まれた。快晴の空のもと、開けた景色はとても爽快感を昇平にもたらした。
展望場の傍らに、パブリックアートがあって、「LOVE」の文字を象った彫刻が、広場の中央を占めていた。昇平は、恵子に元気になって貰いたくて、その前で写真を撮ってもらうことにした。前を歩く観光客の一人にデジカメを渡して撮影を頼み、合図に合わせてふたりポーズを取る。撮るとき恵子の横顔を窺ったが、見るからに憂いを帯びた元気のなさそうな表情をしていた。
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