第1章 猫の缶詰め

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非常にみっともない話しなのだが、僕は正直に言うと彼女に好意を寄せていてしつこく交流を持とうとして詰め寄った時期があった。彼女は僕に対して好感を示すだけで決定的なものは何一つ避け、僕が痺れを切らして彼女にはっきりと交際を申し込むまで彼女に婚約者がいることを知らされなかったのだ。彼女は自分に好意があると思い込んでいたのは完全に僕の自己満足に過ぎなかったが、彼女の態度には甚だ僕に好意を持っているとしか思えなかったのは僕の気のせいでもないだろう。しかもその交際相手ときたら、あろうことか僕の上司だったのだ。彼女の交際相手は激しく激怒し僕の胸倉を掴んだまま店外へ連れ出し、僕の頬を力任せに殴打した。あの日が忘年会だったことをはっきりと覚えている。僕は一方的な暴力を受けながら廃棄自転車の積み重なる歩道を縺れ合いながら転げ回り、人集りが出来上がる大事に発展するまで誰も止められなかった。そのうちに逞しい骨格を持つ通行人が彼女の交際相手を数人がかりで取り押さえるまで、僕は狼狽と活気に満ちる人集りの中心で見世物小屋のようにそのやり取りを公開されていたわけだ、まったく情けない話しである。 その時の彼女ときたら、店の提灯が照らす入り口付近で、顔を両手で覆って背骨を激しく折り曲げ肩をブルブル震わせていた。彼女は非常に可笑しいことがあるとそうやって笑う癖があるが、それは一般には感情的に咽び泣く姿勢に近いがためによく労られるのだ。それを知っていた僕だが、彼女が瞬時で腹を抱えるほど笑っていることを理解し、酷く残忍でエゴイストな性質を持つ女であることを悟り気分を尚更落ち込ませたものだった。この工場の社長は彼女の交際相手に非があるとして僕を匿い、数ヶ月間交際相手を自宅謹慎にしたが、誰も彼女自身に矛先を向けることもなくその葛藤はやがて静かに終わった。
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